No. | 242 |
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Date: | Wed, 28 Nov 2001 10:33:25 +0900 |
Subject | 東久邇宮稔彦殿下の石原莞爾の死に対しての弔辞 |
ハンドルネーム: | |
Name: | (匿名) |
E-mail: | (匿名) |
発言: | 石原莞爾が地上を去ったのは昭和24年8月15日、敗戦記念日の午前5時、成仏の時刻といわれる時間であった。告別式は8月25日に行われた。東久邇宮棯彦殿下(元陸軍大将、敗戦直後の内閣総理大臣)は石原に弔辞を贈った。 弔辞 石原の冥福を祈ると同時に私は彼の霊前に人類世界の恒久平和を祈りたいと思ふ世界の恒久平和こそは石原の一生を貫いた精神であり努力の眼目でありまた彼の悲願であったと信ずるからである彼の生前の言動を想ひ起すとき優れたる 頭脳よりほとばしり出る言葉には時に歯に衣を着せざる直言また常人の及ばざる烈しき行動も稀ではなかったしかしその底には常に変らざる優しき心と慈愛の涙が流れていたのである幽明境を異にすると雖も彼の霊は同じ悲願を抱いて天 駆けていることであろう世界恒久平和に対する彼の熱烈なる信仰と努力また極めて簡素清潔であった彼の生涯こそは永へに万人の範として仰がれるに値するであろう翻って想ふに今や我国は非武装の國となり我々は身に寸鉄を帯びずしかしその故にいささかの偽りもなく術策も交へずして最も公正に最も熱烈に世界平和人類社会の恒久平和を主唱し得る地位に置かれたのであるこれは無上の幸福と言はねばならないまた斯く考へ得る者にして初めて平和の旗手と言ふに値するであろう我々はこの光栄この幸福なる使命を自覚して愈々努力し世界恒久平和の樹立に貢献して行きたいと想ふ願くは石原莞爾の霊よ安らかに瞑すべし 昭和廿四年八月廿五日 東久邇稔彦 真に日本が「戦争放棄」「非武装中立」に徹した平和の旗手であるのであればアフガニスタンのタリバーンと米国の仲介役として人類悲願の恒久平和の方向に両者を説得すべき地位に置かれているのであるが。 境 |