皇統論は付け焼刃で論じてはいけない
皇位継承論を語る橋下氏に一言申し上げたい。
橋下徹「僕が考える令和以降の天皇制」
橋下徹氏が言いたいことはよくわかる。
いろいろ考えているのだろうけど、
この話はもう少し深いレベルの議論が必要だ。
橋下氏はツイッターで、
「旧皇族に国民が敬慕の念を抱くのか、
抽象論でなく現実論として考える必要がある。
国民の敬慕の念の対象が、現在の皇室の皆様であるなら、
まずは女性宮家の創設。
男系男子の皇統部分は、
女性宮家の女性皇族が男系男子とご結婚される偶然を待つしかない。」
と述べるが、「国民の敬慕」という概念は一括りにはできない。
皇族に対する国民の敬慕の度合いは一律ではないからだ。
例えば、傍系の宮家というのは、
橋下氏の言う現代的な敬慕の対象ではない側面ががある。
愛子・眞子・佳子殿下と、
三笠宮家・高円宮家の女王殿下と差があるのを見ればわかる。
国民の多くは、愛子・眞子・佳子内親王殿下や悠仁親王殿下と同じように
三笠宮家、高円宮家、常陸宮家の皇族のことを知っているわけではないし、
顔と名前が一致しない人も少なくないだろう。
旧宮家の皇籍復帰は国民からあまり知られない傍系の宮家の話なので、
橋下氏が考える現代的な敬慕で論じるのはフェアではない部分があると思う。
橋下氏は、
「この日本の国における誇りでもある天皇制は、
国民の敬慕の対象であり続け、「よりよく」続いて欲しいと願う立場だ。
(中略)
倉山氏が、天皇制・皇統を語るにおいて、
延暦寺の不滅の法灯をたとえ話にもってきたときに、
氏は天皇制がよりよく続くためにはどうすればいいのか、
ということについてはまったく関心がないのだなと感じた。
ここが抽象論で生きる倉山氏と、
日本が現実によりよくなってほしいと考える僕の違いだと認識した。」
と述べる。
私は抽象論と現実論は切り離せないという考えだ。
前回も述べたが、血統原理という抽象論を放棄すれば、
皇族に対する国民の敬慕は、皇族に対する同情へと変貌するだろう。
様々な制約がある皇族を解放してあげたいとなる。
すなわち皇族と一般国民の差がなくなると、
皇族の人権問題がより深刻化し、
皇室は解消される方向に進む危険性が高まる。
頭をひねって皇室のこれからのことをあれこれ考えたところで、
人間の理性には限界があり、思ってもみなかった結果となる。
そんな不安定なやり方よりも、
時代の取捨選択を耐え抜いて長く続いている伝統をベースに考えることが、
もっとも安定した対策となる。
それが保守の哲学である。
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