現行憲法でやれること
〜政府は自衛隊を素直に憲法9条で解釈すべき
自衛隊を事実上の国軍にして、
そして集団的自衛権も行使できるようにする。
事実上の国軍とは、戦闘攻撃機による地上攻撃能力や、
中長距離弾道ミサイルを備えることができることであり、
集団的自衛権の行使とは、日本が攻撃されていなくても同盟国の軍隊が攻撃されたときに、
救援したり、共に反撃したりできることだ。
これらは憲法改正をやらなければできないように考えられがちだが、
実質的には現行憲法でも可能である。
実は政府の憲法解釈に問題があるのだ。
現在、政府が自衛隊を合憲とする根拠は何か。
憲法第9条からの解釈ではない。
前文の「平和的生存権」と13条の「幸福追求権」だ。
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【憲法第13条】
すべて国民は、個人として尊重される。
生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、
公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
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国家として当然に持つ自然権としての防衛権があることで、
国民の生命・自由などの権利を守るために
最低限の防衛能力を保有できるということになる。
この解釈によれば、敵基地を爆撃する能力は持てないし、
同盟国を守るために武力行使するための集団的自衛権は
憲法違反になるということだ。
ちなみに、有事法制が整備されたにせよ、
有事における自衛隊が超法規的に活動する場合の根拠も
憲法第13条の「公共の福祉」にある。
しかし、自衛隊の法的根拠を憲法第9条の反対解釈とすれば、
敵基地を爆撃する能力を持つことや、集団的自衛権も認められることになる。
法の反対解釈というのはどういうことか。
「ここの公園には犬を連れて入ってはいけない」という決まりがあったとしよう。
禁止している動物に犬とだけ書いてあるので、
豚は連れて入っていいだろう、というのが反対解釈。
犬がダメなら当然にそういったペット類もダメ、
豚もダメだろうというのが類推解釈。
類推解釈というのはそもそも法の想定していないことを
拡大して適用しようとするものであるから、
憲法の運用で使うのはなかなか難しい。
裁判官が民事紛争を解決する手段として用いる方法だ。
反対解釈は憲法に書いていないことは適用しないということであるから、
憲法解釈としては使いやすい。
その点から憲法第9条を見てみよう。
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【憲法第9条】
@日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
A前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。
国の交戦権は、これを認めない。
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「前項の目的を達するため」、
すなわち「国際紛争を解決する手段」のために戦力を保持しないとあるが、
反対に解釈すれば、
その目的以外であれば戦力を保持できないとは書いていないので、
軍事力を保持できる、というのが反対解釈だ。
自国が攻撃されたときに防衛することは、
国際紛争解決する手段ではなく、単なる正当防衛となる。
いちいち相手の戦闘機やミサイルが飛んできてから対応するのでは、
自国の正当防衛は完遂することが困難なので、
相手国の基地を攻撃するための戦闘攻撃機や弾道ミサイルは保有できると考える。
集団的自衛権は、危険に晒された同盟国を守る行為であるから、
当然に、国際紛争を解決する手段ではないので、憲法上認められることになる。
以上のように政府の憲法解釈は、
本来関係のない条文を根拠に自衛隊の合憲解釈をやっているので、
敵国への攻撃力を持てなければ、集団的自衛権も認められないとなるのだ。
素直に憲法第9条の反対解釈を政府見解とすれば、
敵基地攻撃能力を保有できるし、集団的自衛権も認められる。
現行憲法内でもやれることはたくさんあるのに、
やっていないのがこれまでの政府の姿勢である。
いま、本格的な保守政党による政権の誕生を待ちわびる人々は、
各党の新憲法草案に期待するところはある。
しかし、憲法を改正しなくてもやれることはあるので、
まずそれをやるかどうか、それらの政党に
その覚悟を問うてみることも必要なのではないだろうか。
それらを遂行した上で、もっと現実に則した憲法を制定しようという動きをつくり、
段階的に進んでいく道の方が現実的な近道であるように思える。
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