今こそ覚悟のある首相を



三国志の始まりである黄巾の乱から清朝最後の義和団事件まで、

中国では政権末期になるとおかしなものが流行する。

今回の反日暴動もその兆候だろうか。

かつて清国は、こともあろうか義和団事件に便乗したけど、

現在、中国の尖閣への監視船団派遣はそれと同じか。

八方塞がりなのかな。

これまでの中国の歴史では、不満のある人民は皆殺しにすればよかったのだけれど、

いまの時代はそういうわけにはいかない。

しかし、独裁政治は続けなければならない。

近代化の中で難しい舵取りを迫られていることは間違いないだろう。

この先ずっと綱渡りのような政治を行っていかなければならない。

これまでのところ、あれだけバラバラの国をうまく治めているものだと

感心するところもあるが、それも高度経済成長があってのことだろう。

本当の真価が問われるのはここからではないか。

まあ、中国は民主主義国家ではないだけあって、権力闘争のレベルが半端無く、

鳩山由紀夫や菅直人のような人間が国政の頂点に立つことはない。

日本政治はこの点では完敗している。

政治のレベルということでは官僚を駆使して対峙していくしかないが、

政治家が責任を取らなければ、官僚は無難な方向に流れざるをえない。

民主党は自分たち政治家に秀才がそろえれば、

官僚は押さえ込めると考えていたのだろうが、それは大きな間違いだった。

政治家は方向性を示し、官僚を駆使して、あとは責任だけを取ればいいのだ。

政治家とは本来腹をくくるだけの仕事であると言っても過言ではない。

冷戦時代は、日本はアメリカに追従するだけよかったので、

政治家は腹をくくる必要がなかった。

これからはアメリカに追従するだけではいかないことが徐々にわかりつつある。

トップに立つ政治家には、覚悟が求められる時代になってきた。

政治家になった以上、誰もが総理大臣になりたいと思うのは理解する。

その為には失点を重ねない無難な行動が求められるだろうが、

ひとたび総理になったのであれば、お国のために覚悟を決めてもらいたい。

無難に総理をこなすだけではいけない、

そのことを最も理解しているのが一度総理を経験した安倍晋三氏ではないだろうか。

元首相でありながら、こんな当選不確実な状況で総裁選に立候補した覚悟は

そういうことだと思っている。

覚悟のある総理大臣の実現に期待する。





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