今度こそ闘う政治家へ



支持政党や、次回の選挙で投票したい政党はどこか、

という世論調査はよくあるが、

絶対に投票したくない政党はどこか、という数字はあまり目にしない。

私は2009年の政権交代以前に何回かその調査を見たことがある。

投票したくない政党の上位は確か共産党と公明党で、

最下位は常に民主党であった。

政権交代前の民主党は支持政党という括りでは弱かったが、

有権者のアレルギーが最も小さい政党であった。

パンチが足りないだけ。

そのアレルギーの小さい政党が政権交代ブームの波に乗ったのだから、

300議席超はある意味自然の結果だった。


そして政権交代が行われた現在、民主党は国民にどでかいアレルギーをもたらせた。

自民党はとてつもない大チャンスが巡ってきている。

そのチャンスのなかで、安倍晋三氏を総裁として戦うことになった。

亡国政権から日本を取り戻したいという勢力にとって、

これほどドラマチックなお膳立てはないだろう。


次期総選挙後、安倍氏が総理になれば、占領中の吉田茂を除いて、

戦後はじめて総理の再登板となる。

総理の再登板は戦前では当たり前のこと。

これだけでも戦後レジュームからの脱却である。


ところで戦後体制というこではなく、

人物としての政治家の戦後は別にあるのではないかと思うことがある。

故池田勇人総理は当選1回で大蔵大臣になったが、

戦後しばらくはそんなことは当たり前だった。

有能な人間が大臣を務める。

当選回数で大臣を決めるようになったのは、田中角栄内閣以降のことだ。

岸信介、池田勇人内閣の頃までは戦前の流れが残っていたように感じる。

佐藤栄作の長期政権を経て、田中角栄から数の論理で派閥政治を硬直化させ、

失点を少なくすれば大臣や首相になれる構造をつくった。

これがもう一つの戦後体制だ。


田中派は竹下派、小渕派、額賀派と受け継がれ、最大派閥を継承したが、

小泉純一郎元首相によってぶっ潰され、

今日(9月26日)の自民党総裁選挙が、派閥の論理を超えて立候補した安倍氏と、

派閥を背景にしない石破氏による決戦投票となったのは、

派閥そのものが事実上解体されていることをあらわにした。

安倍晋三氏の本当の戦いはここからとなる。

総理になるだけなら難しいことではないだろうが、

無難に総理をこなすだけでは政治家安倍晋三としての意味はない。


第一次安倍内閣は、祖父岸信介以来の本格保守政権ということで期待が高まり、

保守勢力からあらゆる希望が安倍氏に託された。

しかし、総理大臣というものは、政治家個人の政治哲学と、

国民の生命・財産をあずかる立場としてのバランスも求められる。

自分の思ったことを何でもできるわけではないのが政治だ。

政治家安倍晋三より、総理大臣安倍晋三が優先され、しかも短命に終わったことで、

保守派には不完全燃焼の思いだけが残された。

それでも教育基本法の改正など成果は着実に残した。


第二次安倍内閣が実現したとき、亡国政権から政治を取り戻したということで、

また、保守勢力からあらゆる希望を託されるだろう。

前回のようなことにはならないにせよ、

やはり総理大臣安倍晋三とのバランスは求められる。

みんなの期待感ほど何でもできるわけではない。

その葛藤のなかで戦っていかなければならない。

「美しい国、日本」は、前回、安倍氏が総理大臣になったときのスローガンであるが、

もう一つ掲げているものがあった。

それは「闘う政治家」である。


安倍氏は首相在任中、保守派が期待する意味でも、

総理大臣としての意味でも、存分に闘えなかった。

今度こそ、長期間、闘い続ける政治家になれることを期待している。





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