竹田恒泰氏vs所功氏による討論の雑感



9月30日の「そこまで言って委員会」で行われた

竹田恒泰氏と所功氏による皇統についての討論の雑感です。

8月19日の同番組で、竹田氏が「女性宮家は“皇室の終わり”のはじまり」

というプレゼンをされたことに対して、

今度は所氏が「それでも女性宮家は創設すべき」ということを訴え、

両者による激しい議論となった。

女性宮家を創設すべきという所氏が提示した根拠は次の3点であった。

@皇位は「皇統に属する皇族」が継承する

A男系男子限定が続けば三代後の先が不安

B宮家は皇族女子の相続も認めないと絶滅


まず所氏は女性皇族が結婚後も皇室に残られることについて、

天皇の仕事を助けることになると主張。

そこで竹田氏が「皇族としてしか支えられない項目は何ですか?」と質問。

それに対して所氏は「宮中祭祀に参加できる。これは皇族にしかできない。

今、一部で言われているような、結婚して皇籍を離れた後も、

皇室のお仕事を続けられたらいい、というのは問題がある」と回答した。


これはまったくおかしな回答だ。

現在、政府が進めようとしている女性宮家創設の理由は、

天皇陛下のご公務をお助けするということにある。

現在、これまでの政府見解では、天皇の祭祀は宗教行為に該当することから、

私的行為になる、といっている。

おかしな話ではあるものの、これが政府見解なのだ。

宮内庁や政府内部にいる女性宮家創設推進派と所氏の見解が異なることを露呈している。


この点については、政府の推進派の方が筋が通っている。

宮中祭祀は皇族でないものでも支えることができる。

昨年の新嘗祭は天皇陛下のご不例により掌典長による代拝となった。

一方、ご公務は宮内庁職員が代行することはできない。


竹田氏が常々述べておられるとおり、

女性皇族方は天皇陛下のご公務を手伝っておられるわけではないのだから、

女性宮家はご公務をお助けすることにはならない、という批判をかわすために、

後付の理屈として、皇族の身分であるから宮中祭祀を支えることができる、

という主張をはじめたのだろう。


そもそも所氏の主張は、旧宮家の復活を認めないことを前提に語られている。

そして、女性宮家創設そのものが目的なのではなく、

継承資格を女系まで認めるべきだという主張であることは、

番組司会の辛坊治郎氏がその場で本人に確認した。


これはまったく矛盾する論理となる。

旧皇族が「皇統に属する皇族」に戻ることができなくて、

二千年間、けっして「皇統に属する皇族」になれなかった一般人男性の子供が

なぜ皇統に属することができるのだろうか。


この話は万策尽くして最後まで男系による継承を模索するか、

悠仁親王殿下までで一区切りとして、それ以降は女系への道を広げるか、ということに尽きる。


それをふまえ、竹田氏は論点を明確にするため

「所氏は一般的に言われている女系派とは異なる。

皇學館大学元学長の田中卓氏などは、女系が正統であると言っている。

所氏はそうではない」ということを確認した。

田中卓氏、高森明勅氏、小林よしのり氏らは、

「男系継承はシナ男系主義の影響に過ぎない」と切り捨て、

「女系を認めることこそ正統である」と断言する。

二千年の男系継承そのものを否定的にとらえている。

その違いを区別した上で、竹田氏は

「所氏がこれまで一括して述べているのは、

男系により継承されてきた歴史的事実は極めて重たいということ。

ただ、仕方がない場合は女系もやむを得ないという。

一方で、女系になっても本質的に問題はないというが、

歴史的に極めて重たいものが崩れて、なぜ本質的に問題はないのか?」

と核心となる質問をぶつけた。


それについて所氏は回答で

「皇祖神として天照大神という女神を仰いでいるという事実を考えれば、

男系とか女系とか、男子とか女子よりも、皇室の御祖先が大事」と述べた。

この回答を聞いた私は「???」の思いだった。

所氏の著書で述べている「女系も本質的に問題はない」という理由はそれではなかったからだ。


所氏の著書で述べられているのは次のとおりである。

「皇室には元来、氏(姓)にあたるものがなく、結婚により一般から入る人の氏(姓)は消えるため、

女性であれ男性であれ、その生家により

皇胤=皇統が左右されることには決してならないのである。

それゆえ、皇位継承の資格を男系(父系)だけに限る現行のあり方を、

これから女系(母系)にも広げること自体は、本質的に問題がないと思われる。」


これは歴史的事実をまったく無視した見解である。

学術的見解ではなく、所氏の“感想・想像・思いつき”に過ぎない。

まず“姓”とは父方の出自を表すものである。

一般から皇室に入った女性の姓が消えたのではなく、

生まれた子供に母方の姓は受け継がれないということで、

母系の“姓”は消えることになるのだ。

だから、一般男性が結婚により皇室に入ることによって生まれた子供は、

父方の“姓”を受け継ぐことになる。

消えるのは母方である女性皇族の“姓”である。


ちなみに現在、皇室に入った一般女性の氏が消えるのは、「戸籍法」上のことである。

法制度によって氏(姓)を消せることが根拠になれば、

場合によっては法制度で一般人の誰でも皇族や天皇にできることにもなってしまう。

雅子妃殿下や紀子妃殿下はご結婚によって氏は消えたが、皇位継承資格はない。

それは法制度と歴史的な皇位継承制度はまったく関係がないことを表している。

法制度で皇統を語るのは論外である。


それはともかく、所氏は「女系が本質的に問題がない」のは

天照大神が女神であることが根拠であると述べた。

しかし、二千年以上、歴代天皇は天照大神が皇祖神であることを知らなかったわけでもあるまい。

天照大神が皇祖神であるということを当然に知っておられた歴代天皇が

一貫して皇統を男系により受け継いでこられた。

これが所氏も述べた「極めて重たい男系により継承されてきた歴史的事実」なのである。

皇祖神を男系により継承することが皇統であり、極めて重たい歴史的事実となる。

「皇祖神イコール重たい歴史的事実」であり、

なぜ「皇祖神(神話)」と「歴史的事実」を分離することができるのか。

さらには歴史学者である所氏が、「重たい歴史的事実」より「神話」をとったのは、

何とも皮肉なことでもある。


ところで、天照大神が女神なので、その子孫は女系になるか、

というと、これまた事実と異なる。

まず、冒頭から「男系」、「女系」ということで語るから、話がややこしくなる。

本来、皇統は「男系」ということでは表現せず、「万世一系」といってきた。

「万世一系」とは何かと聞かれてはじめて、「男系」により継承さている皇統ということになる。

「万世一系」は明治以降の言葉だと言われたりするが、大事な部分は「一系」である。

「一系の天子」というのは明治以前からある概念だ。


「男系」というからには、父方の系統と母方の系統が存在しなければならない。

父方の系統を受け継ぐことが男系であり、母方の系統を受け継ぐことを女系と呼ぶ。

天照大神の子が女系であるというなら、

父方の系統は何かということも説明しなければならない。

「古事記」「日本書紀」を読むかぎり、父方は存在しないか、

もしくは須佐之男命(スサノオノミコト)のどちらかだ。

天照大神とスサノオによる誓約(うけひ)により、

のちの跡継ぎとなる神も含めた神々が生み出されているので、

父はスサノオという考え方も成り立つ。

お互いの物実(ものざね)を交換して神々を生み出した。

天照大神とスサノオを生んだのは伊弉諾尊(イザナキノミコト)であるから、

一貫した男系継承であることを物語る。

ただし、物実は交換したにせよ、お互いが別々に神々を生み出したので、

父方は存在しないという考えも有力だ。


ところが、大事なのは天照大神の子の父親がスサノオか、もしくは存在しないのか、

そいうことではない。

天照大神の両親にあたるイザナキとイザナミは

同じ神から生み出されたので兄妹であると考えられている。

父方の系統と母方の系統が別々に存在しているわけではない。

どちらも同じ系統となる。

つまり、天照大神の子である天之忍穂耳命(アメノオシホミミノミコト)までは

男系も女系も存在しないのだ。


皇統にはじめて母方の系統が誕生するのは、

天照大神の孫にあたる邇邇芸命(ニニギノミコト)からとなる。

父であるアメノオシホミミが結婚によってはじめてお嫁さんをもらったから、

母方の系統が誕生した。

ニニギも天孫降臨で地上に降りてから、

サクハナコノヤヒメという美しい女性と結婚して跡継ぎとなる子供を設ける。

つまり、そもそも一系統だったものが、天孫ニニギノミコトから二系統になり、

そこから以後、父方の系統を代々受け継いできたのが皇統となる。

皇統が「男系」というから天照大神のところで(?)となるのだが、

「一系」と考えると、何の問題もないことがはっきりする。


これは私の思いつきではなく、「古事記」の記述を見れば明快である。

その生誕について、天照大神の子であるアメノオシホミミまでが「成る」と表現され、

ニニギからは、以後すべて「生まれる」と表現されている。

一系統のときは「成る」、二系統になって「生まれる」となる。

天照大神の跡継ぎであるアメノオシホミミが生み出されるときは「成る」と記されており、

これは女系には該当しないのである。

「古事記」には天照大神が男神とも女神とも記されていないのは、

そんなことはどうでもいいことだったからではないだろうか。


また、「皇統譜」を見ても、はじめて「妃」という記述が登場するのは、

天照大神の子であるアメノオシホミミからである。

だから母方の系統が登場するのはその子ニニギからとなる。

したがって、天照大神とその子アメノオシホミミまでは男系も女系も存在しない「一系」、

天孫ニニギノミコトから男系のみを選択し続けた「一系」となる。

皇統は、そのはじまりから完全に一系が貫かれている。

これを的確に表現したのが万世一系という言葉である。


「天照大神が女神だから女系だ」という人には、

「天照大神の子であるアメノオシホミミは、“成る神”ですか“生まれる神”ですか?」

と尋ねればいい。

相手が専門家ならドキッとするだろう。

また、あわせて「天孫ニニギノミコトは“成る神”ですか“生まれる神”ですか?」とも尋ねる。

結婚によって“生まれた”神は、ニニギノミコトからであり、

以後、一貫して父方の系統を継承してきているのが皇統だと、教えてあげればいい。


今後、皇族女性が聖母マリアのように処女懐胎されるのであれば、

天照大神の事例に該当するが、結婚されるのであれば、その子は「生まれる」のであるから、

これまでの原則にしたがうなら父方の系統を選択しなくてはならない。

父方の系統を選択して皇統につながらないのであれば、

それは皇統断絶を意味する。


「天照大神が女神だから女系でもいい」というのは「古事記」の素人である。

所功氏は歴史学者でありながら、「極めて重い歴史的事実」と自ら語る歴史の部分を無視して、

神話に頼ったが、「古事記」の素人であったから、

最終的には「ただの素人」の戯れ言だったという結論でしめくくることにしよう。




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