「女性宮家」論点整理についての雑感と提言
政府が皇室制度に関する有識者ヒアリングをふまえた論点整理を公表した。
要約すると、「女性宮家の創設」(T)か、
「女性皇族の結婚による皇籍離脱後も皇室活動を支援できる制度づくり」(U)、
の2案となる。
(T)の女性宮家創設については、夫と子供も皇族の身分を取得するか(T−A)、
しないか(T−B)、の両案がある。
私の率直な感想は、女性宮家創設ありきであった当初の雰囲気からみれば、
まずまず上出来だろう、といったところか。
当初、まったく議論になっていなかった、結婚して皇籍離脱された女性皇族方が、
引き続き皇室活動を支えることができるという案が盛り込まれたことは良かった。
皇籍離脱後の内親王などの「尊称保持」については、
“法の下の平等”を定めた憲法14条との関係で疑義があるということで却下された。
これは旧皇室典範第44条には、
「皇族女子が臣籍の者と結婚したら、皇族の列から外れる。
ただし、特旨により内親王・女王の呼称を持つこともある」(現代語訳)
という規定があったので、現皇室典範に同様の規定を設けてはどうか、
という案があったことについてのことだ。
それについて政府では、そもそもこの規定は旧皇室典範第39条の
「皇族の結婚相手は、皇族または勅旨により認められた華族に限る」(現代語訳)
という規定を前提にしたものであり、
華族制度など身分制度を基礎にしたものであったことから、
現在の制度では困難ということを示した。
伊藤博文による「皇室典範義解」(皇室典範の注釈書)には、
同44条について「特に賜る尊称で有り、その身分によるものではない」(現代語訳)
と記されているとおり、あくまで“呼び方”のことであって、身分の問題ではない。
皇族女子の結婚相手が皇族以外は華族に限定されていたから、
44条の規定があったというのは、特に因果関係はないと考えられる。
それはともかく、私は、これまで一度も触らなかった皇室典範を、
尊称だけのために改正することには慎重な立場であった。
戦後の皇室典範は一般法と同列となってしまっているが、
その性質は一般法とは異なることから、
簡単に改正する前例は作らない方がいいと考えていたからだ。
結果的ではあるものの、政府の判断で良かったと思っている。
そして、皇室典範に手をつけないということでは、
女性宮家創設(T)は、断固支持できない。
夫や子供が皇族になるかどうかということだけではなく、
一代限りのためだけに皇室典範を改正するようなことは絶対にやめるべきだ。
皇室典範の性質上、改正する場合は少なくとも
長期的な視点でとらえるべき事柄に限定する必要がある。
その点では、結婚により皇籍離脱した皇族女性が、
引き続き皇室の活動を支える制度(U)が、
皇位継承制度と切り離すという意味でも、望ましいだろう。
旧宮家の復活を考えた上でも、
復帰したばかりの方々を支える意味でも役に立つ制度だと思う。
尊称などみんなが勝手に呼べばいいだけだし、
幕末に徳川将軍家に嫁いだ皇女和宮は、降嫁後も“宮様”として扱われていた。
あくまで皇室活動を支えるという立場であるから、
内親王の尊称がなくてもいいかもしれない。
イメージでは黒田清子さんが、皇室活動のお手伝いをされるというようなことだが、
「清子内親王」とお呼びするより、「清子さま」の方がすっきりするかもしれない。
しかし、誰もが“皇女”であることはわかっているのだから、
自然と“宮様”という扱いになるだろう。
私の“論点整理”としては、あくまで一代限りのことであり、
皇位継承制度と区別するのであれば、
皇室典範には手をつけない
「女性皇族に皇籍離脱後も皇室のご活動を支援していただくこと可能とする案」(U)
に限るしかない。
政府が今回、旧宮家の復活を論点から外した理由は、
皇位継承制度と区別するという大前提があったからだという。
そうであるならば、女性宮家創設(T)は、
皇族数の減少ということについて根本的な解決策にはつながらない上、
いずれ皇位継承制度を論じるときの伏線になることは避けられない以上、
根強い反対を押し切ってまでそれを行うことは適切ではないし、
ことの性質上、最も反対の少ない案を尊重するべきだと考える。
当面は、女性皇族方のご意思を尊重しつつ、
ご結婚後による皇籍離脱後も皇室を支えていただける制度をつくり、
時間をかけて皇位継承制度を論じていく、という方策が、
もっともスムーズに運ぶことができて、収まりがいいだろうと、ということを提言したい。
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