目先の安定にごまかされるな



「やしきたかじんのそこまで言って委員会」の一幕

田嶋陽子「私は天皇制を国民の心の柱として存続させたいと思うなら、

女系を認めた方がいい」

宮崎哲弥「田嶋さんも天皇制度は持続した方がいいと考えるの?」

田嶋陽子「今、それを私にイエスかノーか強要しないで」。

何と皇室がいずれなくなった方がいいと思っている人が高森明勅氏の本を絶賛し、

所功氏の女性宮家創設論を支持している。


日本経済新聞は今月6日付けの紙面で、

女性宮家創設問題について井上亮編集委員による

「真の伝統を見極め議論を」という提言コラムを掲載した。

これは女性宮家創設を支持する見解だが、

筆者が真の伝統を見極めよという根拠に、

「戦前約20あった宮中祭祀の9割は明治期に創設されており、

大喪の礼・即位の礼などの儀式は欧州の王室を参考にした和洋折衷的なものだった」

と指摘する。

これはおそらく皇室祭祀を否定的にとらえている原武史氏の論を

そのまま引用しているのだろうが、事実ではない。

明治に「皇室祭祀令」が整備されたのは、古来の伝統をふまえたものだ。

明治に創設されたというのは、江戸時代より前にはなかったと言いたいのだろう。

しかし、それは正確性に欠ける。

幕末にさしかかる頃、後桃園天皇が後継不在で崩御されたことで、

7親等離れた光格天皇が即位されることになった。

傍系から即位された光格天皇は、そのことを意識されていたようで、

皇室の伝統への思いが強く、

たびたび中断していた古代からの祭祀を本格的に復活されたのだ。

それが明治になって制度化されたのである。


さらに井上編集委員は「万世一系、男系継承も明治に確立した思想だ」と述べる。

男系継承が「思想」・・・?。

いったい何の思想だろうか。

明治の近代化、そして近代国家としての立憲君主制と

男系継承にどういう因果関係があるというのか。

事実関係としては、帝国憲法制定作業の当初は女帝・女系論が優勢だったのだ。

それは西洋の王室が参考にされていたからだ。

ところが、井上毅が学者による研究チームをつくって、

「古事記」「日本書紀」をはじめ、わが国のあらゆる歴史書を調べさせた結果、

皇位継承に厳格なルールがあったことを発見したのだ。

思想でも何でもない“事実”である。

そもそも、そんな当たり前のことを発見しなければならないほど、

明治政府には学問の疎い下級武士が多かったのだ。

だから、その他のことで間違いもそれなりにあったのは確かである。

しかし、皇位継承制度については井上毅によって救われたのが事実である。

思想など何もなかった。


私がこの記事について問題性を感じたのは、

積極的に女系天皇論を唱える高森明勅氏や小林よしのり氏ですら、

「明治に祭祀が創設された」などという主張に強く反対していたことだ。

天皇が他の国王と違うのは、祭り主である存在にある。

祭祀の否定は、天皇の否定につながる。


祭祀を否定し、天皇を否定する人たちによって支持され、

進められようとしているのが女性宮家創設なのだ。

所氏や高森氏は、結論は同じでも

この日経新聞の編集委員のような主張は否定すると考えるのかもしれないが、

二千年の皇位継承の原理原則が崩れたときには、

ほぼ間違いなく、なし崩し的に井上編集員や田嶋陽子氏らが思い描いている

皇室の姿へと変わっていくだろう。

その行き着く先は皇室の廃絶である。

所功氏は「大切なことは皇室が末永く続くこと」と語るが、

前述のようなことで、本当に皇室が末永く続くと考えているのか。

考えているのであれば甘いと言わざるをえない。


皇位継承制度に合理的な安定を求めるのであれば、

過去において女系継承が選択されているはずである。

あえて、不安定な男系継承を続けることによって、

二千年の安定を実現したのが日本の皇統なのだ。

女性宮家創設や女系天皇論を支持する人たちは、

目先の合理的な安定にとらわれているだけである。

皇室が二千年も続くというのは世界史的な奇跡である。

その奇跡を今後、千年、二千年続けようとするのであれば、

現代人による浅知恵ではなく、二千年の歴史・伝統に沿った方策をとるしかない。

現代人の思い上がりを戒めるのが先人たちの叡智でもあるのだ。







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