一票の格差とは何ぞや



最高裁が違憲状態と判断した衆議院の一票の格差について

是正措置をやらなかったとで、再び裁判になれば違憲判決が下るとの指摘も

メディアで報じられたが、今後も違憲判決が下ることはない。

一票の格差とは、例えば50人で1の議員を選ぶ選挙区と、

100人で1人の議員を選ぶ選挙区があれば、有権者1人の一票の重みは2倍であり、

法の下の平等に反するというものだ。

違憲判決が下るとは選挙を無効とすることである。

選挙が無効になるということは、選挙のやり直しとなるわけだが、

誰が一票の格差を是正する区割りを決定するのか。

大規模な不正選挙が行われたのであれば、

不正がない状態でもう一度選挙をやり直すことができるが、

一票の格差問題であるなら、国会で新たな区割り法案を成立させなければならない。

選挙が無効となれば誰がそれを審議するのか。

仮に解散前の衆議院議員の立場が復活するとしても、

今回のような7条解散ならともかく、任期満了解散だったらそれもできない。

解散時の緊急事態なら参議院の緊急集会でやれなくもないが、

定数是正は緊急事態でも何でもない。

最高裁も7条解散の場合だけ無効にして、

任期満了の場合は無効にできないなどという判決は出せない。


東京の選挙区と農村部の選挙区では、

面積でいえば軽く十倍以上、数十倍になるかもしれない。

そもそも選挙民にとって平等などという状況は作り出されないし、

小選挙区は死票も多いから格差も何もあったものではない。

一票の格差とは“生き票”の格差ではないのか。


現在の小選挙区の区割りは、まず各都道府県に定数1を割り当ててから決めているので、

どれだけ一票の格差を是正しても1・9倍程度にはなる。

1・9倍は合憲で、何が違憲だということになれば、境界線を決める根拠など何もない。

普通に考えれば、1・9倍でも十分に違憲ではないだろうか。

かつて3倍で合憲判断が出たこともあるし、裁判官の胸先三寸が憲法になるのか。


厳格に一票の格差を是正すれば、都市部に国会議員がたくさんいて、

農村部にはほとんどいないことになる。

完全比例代表制にするならともかく、選挙区で区切って選挙をする以上、

多少の格差は生じるものである。

そんなことよりも、小選挙区制にすることで、

誰にも投票したくない選挙区が続出する方が問題であると感じる。

支持する政党の候補者がろくでもなかったらどうしようもない。

また、自分の住む選挙区に嫌いな政党の有名大物政治家がいて、

何十年もその候補が当選し続けることになると、

その地域に住んでいる反対意見の有権者はたまったものではない。

何十年も死票を投票し続けなければならない。


私はやはり中選挙区制の復活が望ましいと考える。

かつては政権交代が起こりにくいと言われたが、

それは野党の体たらくの問題であって、制度の問題とはいえない。

一つの選挙区に同じ政党から複数人の候補者が立つと、政策に違いがないので、

利益誘導政治や、どぶ板選挙になるといわれるが、

それも冷戦期のようなシンプルな保革対立の時代の古い指摘だ。

例えば、自民党にも民主党にも、人権委員会設置法や外国人地方参政権、

TPPなどに賛成の議員もいれば反対の議員もいる。

消費増税もそうだ。

なるべくなら政策だけで分類できればいいが、そんなにうまくいくものでもない。


そもそも国民がいちいち政策に口出しするのが議会制の本意ではなく、

代議制とは自分に代わって議論をしてくれる士(さむらい)、

すなわち代議士に政治をゆだねることである。

政党のマニフェストで投票するなら、議員はロボットでもいい。

マニフェストを忠実に実行するのであれば、むしろロボットの方がいいかもしれない。

政治とは有権者一個人の目線ではなく、日本国全体のことを考えて行うべきものである。

そういったことのできる人間に投票し、政治を託せる制度を実現するべきだ。








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