天照大神の子は女系継承にあらず
皇祖神が天照大神(アマテラス)であるから、
天皇は女系であっても差し支えないという主張がある。
皇祖神がアマテラスという女神であるから、最初のところで女系継承になっているという。
この議論の根本的誤りは、アマテラスは日本神話に登場する最初の神ではない、ということだ。
古事記によると天之御中主神からはじまる別天神(ことあまつかみ)、
そこからイザナキ、イザナミの神につながる神代七代の次に登場する“中間”に位置する神である。
なぜ天照大神が皇祖神とされるかというと、
簡単にいえば、その孫であるニニギが地上に降り立ち、
ニニギのひ孫にあたる神武天皇が即位したからだ。
つまり、地上における天皇の根源にはニニギがあり、
そのニニギを天上から神勅により地上に使わしたのがアマテラスだから、
皇祖神として位置づけられたのだ。
ニニギに神勅を与えたのがアマテラスだから皇祖神になるということ。
しかし、神々の系譜としてみると、アマテラスは最初ではない。
アマテラスに天上を治めることを命じたのはイザナキであるから、
イザナキも皇祖神であることに変わりはない。
アマテラスの子であるアメノオシホミミが女系であるなら、
イザナキとアメノオシホミミは男系ではつながらないのか。
ここが最大のポイントであり、“ウケヒ(誓約)”神話の内容に関わってくる。
ウケヒとは、占いのようのようなものである。
弟スサノオがアマテラスに会うため、天上に上がってきたとき、
アマテラスはスサノオが攻めてきたのではないかと疑った。
そこでスサノオの提案により、お互いが神を生み、
生まれた神が男女のいずれかによって潔白を証明するということになった。
まずアマテラスはスサノオの持つ剣を取り、三つに折って井戸水ですすいで噛み砕き、
吹き出す息の中から3柱の女神を生んだ。
続いてスサノオは、アマテラスの勾玉(まがたま)を取り、井戸水ですすいで噛み砕き、
吹き出す息の中から5柱の男神を生んだ。
そして、アマテラスは、「この男神は私の物実(ものざね)から生まれたから私の子だ」と宣言する。
この男神の1柱がアメノオシホミミである。
アメノオシホミミはアマテラスの子であるから女系だという考えもあれば、
実際はスサノオによって生み出されたからアマテラスの子とはいえないのではないか、
という主張もある。
この議論に終止符を打ったのが竹田恒泰氏による論文
「アメノオシホミミを生んだ神はどの神か」(日本國史學第1号)であった。
これまでウケヒによって生まれた神の系統について、
神を生んだ行動を重視するのか、物実を重視するのかなどの様々な説があった。
竹田氏はこれまであった様々な説を分類・整理し、一つの結論を導いた。
アマテラスの行動→霧(スサノオの剣+水+アマテラスの息と唾液)の発生→女3神が成る
スサノオの行動→霧(アマテラスの珠+水+スサノオの息と唾液)の発生→男5神が成る
竹田氏が新たに着目したのは唾液である。
古来、日本では唾液に呪力があると考えられ、
今でも箸や飯茶碗はそれぞれ使用者が特定されている。
例えばお父さんのお茶碗、箸、湯飲みなど。
西洋ではお父さんのフォークなど存在しない。
「古事記」でも神話の部分で、川の上流から箸が流れてくる話が収録されているのは、
箸は客のために新調し、使い終わったら川に流すものであって、
口をつけた箸にはその人の魂が乗り移るという考えの現れだとする。
ウケヒによりアメノオシホミミが生まれるにあたり、
スサノオの行動、アマテラスの珠、スサノオの息と唾液のいずれも欠かせなかったのであるから、
そのすべてが生成に深く関わっていると見るほかなく、
ウケヒにより誕生した男5神と女3神は、
アマテラスとスサノオの両神が共に生成したと結論づける。
イザナキとイザナミも同じ神から生まれた兄妹と考えられていることから、
神代の話であれば、アメノオシホミミがアマテラスとスサノオの子であるとことは十分に説明がつく。
また、アマテラスが男五神を自分の子だと宣言したということは、
宣言しなければ帰属が定まっていないことの表れでもあることを指摘し、
上記の論拠を裏付けることにもなる。
竹田氏は、そもそも人間による血統のつながりに、
神代の系譜を持ち込むべきではないと断りつつも、
イザナキと歴代天皇の間の系譜は、男系によりつながっていることを論証した。
非常に説得力のある学説となり、ウケヒ神話の議論はこれで完全に決着したと考えていいだろう。
【参考】
日本国史学会編『日本國史學』第1号
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