皇室と憲法




月刊『正論』で《「女性宮家」創設賛否両論の不明》という短期集中連載が行われている。

第1回では賛成派の代表的論者である所功氏の歴史論の曖昧さなどが指摘された。

現在発売中の第2回は、タイトルが「反対派・百地章教授の場合」となり、

百地氏への批判が記されている。

著者の斎藤吉久氏は、早くから宮内庁による宮中祭祀の破壊を問題視し、

著書『天皇の祈りはなぜ簡略化されたか』は、

その問題性が克明に記されている素晴らしい作品だ。


斎藤氏は女性宮家創設論について、

制度改革ありきの政府の発想と論理の問題性を指摘していることから、

百地氏への批判は叱咤激励に含まれるのだろうが、

その内容は憲法学をわずかばかりたしなむ小生からすれば、

少し論点がずれているように思える。

斎藤氏の指摘内容は、

「天皇の地位は主権の存する日本国民の総意に基づく」と定める現行憲法によって、

祭祀王たる歴史的天皇からの正統性が中断されたとする

行政の実務が行われていることが問題の核心であり、

百地氏がいくら「皇室の歴史に女性宮家が概念上も、実態としてもない、意味をなさない」

と述べても、行政官には伝わらないというものだ。

斎藤氏の指摘は緻密に述べられており、

GHQによる占領後期から主権回復後しばらくは、

現行憲法体制でも歴史的天皇のあり方を継承する運営が行われてきたが、

昭和40年代から50年代にかけて、その方針が変更され、

戦前と戦後を分断した解釈が中心になってきたということだ。

そのことが宮内庁による祭祀の破壊にもつながっているという。

皇室に関する憲法観が昭和40年代から一変したのだ。

つまり、いくら万世一系の歴史的正統性を訴えても、

戦前と戦後を分断した歴史観の官僚にとっては

「屁のカッパ」だということを斎藤氏は指摘している。

斎藤氏が述べるに百地氏の主張には、

昭和40年代から一変した皇室に関する憲法観を含む現代史、

すなわち戦後皇室行政史が欠落しているということだ。


斎藤氏の指摘は非常に重要な視点だといえるが、

では、どうすればいいかという具体的方策はない。

官僚に「皇室に関する憲法観を変えろ」と言ってみても、それもまた「屁のカッパ」である。


なぜ官僚の憲法観が一変したのかというと、

斎藤氏も指摘する東大憲法学の祖となる宮沢俊義の「八月革命説」が、

その弟子の芦部信喜を経てわが国の憲法学会で完全に浸透したからである。

八月革命説とは、大日本帝国憲法の改正による日本国憲法の成立は

憲法学上どうしても説明がつかないということで、この両憲法の法的関係性を切断し、

ひいては戦前と戦後を分断し、戦後から新しい国家がはじまったとする考え方である。

憲法学会ではこれが通説になったが、

現実の政治や社会では、そんなきれいに割り切れるものではない。

日本国政府では戦前からの連続性を維持しているという建前がとられた。

終戦当時における世の中の中枢を占めていたのは戦前育ちの人たちだから、

天皇を中心とする国家が続いているので、

憲法によって理論的に分断されているなどと言われても机上の空論であって、

現実社会には影響を及ぼさなかった。


ところが戦後教育を受けた世代が徐々に世の中の中枢を占めるようになると、

行政実務に「八月革命説」が持ち込まれた。

その一つが宮中祭祀の簡素化である。

祭祀を軽視し、ご公務を重視するのは、

戦前と戦後を分断する考え方が中心になってきたからだ。

これがいわゆる戦後体制であり、それは戦後しばらく経ってから完成したレジームである。


憲法学の通説である「憲法改正限界説」の立場に立てば、

当然に八月革命説が導かれる。

改正限界説では憲法というものについて、天皇が定める「欽定憲法」と

国民が主体となって定める「民定憲法」に分類し、

欽定憲法から民定憲法への改正は限界を超えており、不可能だと説明される。

では、現実に改正されてしまったらどうなるかといえば、

改正前の憲法と関係のない別途新しい憲法が成立したと考える。

これが八月革命説である。

その後、八月革命説が東大憲法学となり、日本の憲法学会を支配する考え方となった。

官僚のほとんどは東大法学部の出身であることから、

当然に八月革命説に影響されることになる。


一方、京都学派は改正限界説に左右されない無限界説をとる。

百地氏もその立場である。

日本国憲法はその制定過程に問題があるが、

内容については天皇を中心とする国のかたちが存続したことから、

帝国憲法からの連続性を認めるという考え方となる。

百地氏が憲法第2条で「皇位の世襲」を定めているのは

男系により継承することを意味し、

政府の憲法解釈も戦後一貫してそうであったことを強く強調するのは、

これまでの日本国政府としての見解が、

現行憲法が帝国憲法との連続性を維持することを前提としてきたことを

確認するためである。

つまり、斎藤氏が指摘しているように、

官僚が勝手に皇室に関する憲法解釈を変更するな、ということを、

皇統論においてすでに訴え続けてきたのが百地氏なのである。

細部についてはともかく、斎藤氏による指摘の大枠は、百地氏は重々承知のはずだ。

天皇は、わが国に近代憲法が制定される二千年以上前から続いているのであり、

それに基づき憲法は制定され、また、解釈されなければならないという

正しい憲法観により国家は運営されるべきである。

百地氏はその原理原則に基づき、皇室典範に関する主張を展開しておられるのであり、

その点につき斎藤氏には憲法学の観点がやや欠落していたのではないだろうか。

それらを踏まえ、斎藤氏と百地氏はお互いの強みを重ね合わせながら、

協力して歴史・伝統を無視した安直な制度改革ありきの議論を

打ち負かしていただけることを強く期待したいと考える。



※「屁のカッパ」が関西弁なら申し訳ありません。

ぬかに釘、馬の耳に念仏、という意味です。


※「正論」1月号の斎藤氏の記事を読むと、

宮内庁に与した保守系の女系天皇・女性宮家支持派が、

いかに戦後体制における左翼思想に影響されているかがよくわかります。

そのことを頭に描きながら読めば、

この問題に関する構図がよくわかる非常に優れた論考です。





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