所功氏は戦後民主主義に嵌っている
『Voice』(12月号)で竹田恒泰氏による「所功氏の浅薄な女性宮家創設論」が掲載され、
それに対して現在発売中の同誌(1月号)で所功氏が
「竹田恒泰氏への応答」という反論を寄稿した。
その内容を読むと、相変わらず所氏がうまくかわして逃げようとしている姿勢が伺える。
しかし、私の目はごまかされない。
そこで、竹田氏の批判のポイントに対して、
所氏がどのように"応答"しているのか、整理してみたい。
竹田氏の主な批判は3点である。
@所氏の「従来の天皇は一貫して父系継承であり、
(中略)この史的事実が持つ意味は極めて大きく、
今後も持続しているならば、それに超したことはない」という発言と、
「これから女系(母系)にも広げること自体は、本質的に問題がない」という発言は矛盾する。
本質的に問題はない理由は何か。
A「そこまで言って委員会」で@について質問したら、
イの一番に皇祖神の天照大神が女神であったことを主張したことについて、
皇室制度に議論に神話を持ち込むことは学問的ではないが、
例え神話を持ち出しても、天照大神を生んだイザナキと歴代天皇は男系の神統でつながる。
B内親王方が皇族でないと天皇を支えることができないことは何か。
この3点について、同誌(1月号)で所氏がどのように答えているか、ということを見ていきたい
@女系が本質的に問題のない理由について。
--------------------所功氏--------------------
私は皇室の来歴を可能なかぎり調べたうえで、
皇位継承の資格を今後「女系(母系)にも広げること自体は、本質的に問題がない」
と考えている。
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これ以外に何ら説明がない。
その「皇室の来歴を可能なかぎり調べた」成果は
いつになったら明らかにしていただけるのだろうか。
確かに所氏は自著の中で、奈良時代の大宝・養老律令のなかの
『継嗣令』などにも触れているが、それが女系の根拠にならないことは、
私の他に皇學館大学の新田均教授などがすでに説明済みだが、
それについて所氏が有効な反論を示した形跡はない。
さらには、仮に『継嗣令』が女系容認を示すものであろうが、
それでも皇統は一貫して男系により継承されてきたことが、
所氏が述べているとおり「極めて重たい史的事実」であり、
それ以上の根拠は存在しないはずだ。
これらについて所氏は何ら"応答"していない。
A神話を持ち出そうが、天照大神を生んだイザナキと歴代天皇は
男系の神統でつながっていることについて
--------------------所功氏--------------------
私は神武天皇以下の皇室で天照大神を「皇祖神」として仰いで来られたという
伝承の事実が大事だ、と指摘したにすぎない。
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では、所氏にこのように問えば、お答えいただけるのだろうか。
神武天皇以下の皇室で天照大神を皇祖神として仰いでこられたのであれば、
なぜその神武天皇以下の皇室で二千年以上厳格に男系継承を続けてこられたのか。
例え皇祖神が天照大神であっても、
皇統は男系により継承されるべきものと歴代天皇がお考えになってきたからではないか。
私が皇位継承の"来歴"を調べたかぎり、二千年以上男系による継承は、
まさに薄氷を踏むようにつなげられてきた。
所氏が述べるがごとく「女系は本質的に問題がない」のであれば、
そこまでして男系による継承にこだわることはなかった。
「本質的に問題がない」と考えているのは、あくまで所氏の理性であって、
それよりも歴代天皇が一貫して男系継承であった史的事実の方が極めて重たいのである。
所氏が「従来の天皇は一貫して父系継承であり、
(中略)この史的事実が持つ意味は極めて大きく」と述べた、史的事実とは、
天照大神を皇祖神として仰いだ上での"史的事実"であるということを
お忘れにならないでいただきたい。
さらに所氏は次のように述べる。
--------------------所功氏--------------------
「アメノオシホミミが、天照大神とスサノヲの二柱の神が共に生んだ神で・・・
天照大神とスサノヲはイザナキの子であるから、
少なくともイザナキから神武天皇まで男系の神統で繋がることがわかるだろう。
このように、記・紀神話においても男系継承の原理は保たれている」と、
男系原理主義のユニークな解釈を示される。無理な解釈と評すほかない。
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竹田氏は上記の記述を行った後に、
この点は拙稿「アメノオシホミミを生んだ神はどの神か」
(『日本国史学』日本国史学会、平成二十四年、第一号)を参照されたい。
と示している。
この竹田氏の論文は、"ウケヒ(誓約)"神話の論議に決着をつけるものであるとして、
私も当サイトで「天照大神の子は女系継承にあらず」という解説を書いた。
"ウケヒ(誓約)"神話については、過去に専門家によって
学問的に様々な論考が示されてきたが、竹田氏はそれらの主要論点を整理し、
結論づけたのが上記日本国史学で示された論文である。
所氏はそれについて一切検討することなく、
「男系原理主義のユニークな解釈」「無理な解釈と評すほかない」と断定している。
学者としての姿勢に疑いを感じざるをえない。
B内親王方が皇族でないと天皇を支えることができないことは何か。
--------------------所功氏--------------------
あえて具体的な資料をあげれば、天皇・皇后両陛下のお務めは、
拙著『天皇の「まつりごと」−象徴としての祭祀と公務−』などに詳述した。
また皇太子殿下はじめ各皇族方の多種多様な「御活動(公務)」は、
宮内庁のホームページにも、両陛下の分とともに"何十何百"と列挙されている。
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これは竹田氏の指摘に何ら答えていない。
なぜなら、竹田氏は同誌(12月号)で以下のように述べている。
天皇のご不例のとき、民間人である掌典長が祭祀を代行している。
理論上、民間人が担えて元皇族(親族)が担えないはずはない。
(中略)
(ご公務については)皇族の身分を離れても継続可能なことが大半を占め、
制度的に皇族しかなされえないことでも、
内規の変更などで十分に対応できることばかりである。
所氏はこの指摘を踏まえた上で、
内親王方が皇族でないと天皇を支えることができないものを示す必要があるのに、
またも、何十、何百もあると、同じことを繰り返しているだけだ。
具体的なことは何一つ述べていない。
ちなみに、新嘗祭を掌典長が代行する場合でも、皇太子殿下もご臨席される。
皇太子殿下が天皇陛下を代行するわけではない。
所氏は宮中祭祀というものを何か勘違いされているのではないか。
上記3点以外でも所氏の記述には問題が多い。
--------------------所功氏--------------------
(渡邉允)前侍従長が個人の著作で書かれたことであるが、
「(中略)天皇陛下は、十年以上にわたって、この問題で深刻に悩み続けられ・・・
夜お休みになれないこともあり、・・・皇后さまもお悩みになりました」と回想しておられる。
このような真相を熟知されているからこそ、
「皇室の将来を考え」るならば、「悠仁さまがお一人しか残らない」状況を克服するため、
せめて「内親王さまが・・・新しい宮家を立てて皇室に残られる」よう、
典範改正を「一日も早く解決すべき」との切実な提言をされるに至ったのだろう。
ところが、竹田さんは右(前侍従長)の引用につき、
「文脈からして、渡邉氏が陛下のご意思を代弁していることを暗に指摘している」ので
「所氏のこれらの主張は天皇を政治利用するもの」と批判された。
これは心外である。
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これが天皇の政治利用という認識がないのであれば、あまり認識が甘いと言わざるをえない。
「天皇陛下がこの問題で深刻に悩み続けられた」のは事実であろうし、
「悠仁さまがお一人しか残らない状況」も客観的事実である。
その解決方法が女性宮家の創設であるというのは、どこから導かれるのか。
もし陛下が男系皇族の減少をお悩みであるならば、
女性宮家創設による女系皇族がいくら増えても、お悩みが消えることはない。
つまり、「内親王さまが・・・新しい宮家を立てて皇室に残られる」ことが
「一日も早い解決」であるというのは、前侍従長の主観に過ぎない。
「天皇陛下が悩み続けられた」ことは前侍従長がおそばで感じることができるだろうが、
それの解決方法が女性宮家の創設とするのは、前侍従長の出過ぎた推察であるということだ。
それを混同して所氏が女性宮家創設を主張するということは、
天皇の政治利用以外の何ものでもない。
また、所氏は幕末の淑子内親王が桂宮の当主を務められたことを例に出し、
「皇室に生まれ育った女子が結婚して当主となられることは、
先例もあり「家主」としての役割を果たされるであろう」と述べる。
しかし、これについても同誌(12月号)で竹田氏がすでに次のような指摘をされている。
女性皇族が民間から婿ないし夫を取った例など、
二千年を超える皇室の歴史上、いまだかつて一度の先例もない
桂宮淑子内親王は、これまでの女性天皇と同じく生涯独身であった。
女性宮家の問題性は、民間人の夫が皇室に入り、その子も皇族になることだが、
そのような先例は一度もないことを竹田氏は指摘しているのに、
生涯独身だった淑子内親王を持ち出して、
「結婚して当主となられることは、先例もあり」というのは、どういうことだろうか。
問題をはぐらかしているのか、理解する知力を持ち合わせていないか、どちらかとなる。
最後に所氏は旧宮家の復活について、奇妙な説を述べている。
--------------------所功氏--------------------
男系主義に囚われなければ、明治天皇の四内親王が降嫁された
竹田・北白川・朝香・東久邇の四宮家、
及び昭和天皇と生涯をともにされた香淳皇后の出られた久邇宮家の人びとは、
母方を通じて現皇室の方々にきわめて近い(父方は約40親等離れている)。
それゆえ、この母方旧宮家を優先的に復活することができないか、
私には現行憲法を改正しなければ難しいと思われるが、
「特殊憲法学」を担当する竹田さんなどには、可能な法理を研究してもらいたい。
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まず確認しておかなければならないのは、
竹田・北白川・朝香・東久邇・久邇の宮家は天皇の男系子孫である。
現皇室との母方を優先するのなら、
現在の女性皇族より旧宮家が優先されることは認められないはずだ。
所氏は「男系主義に囚われなければ」「母方旧宮家」と言いながら、
潜在的には実は男系による継承の必要性を感じているのだ。
母方だけであろうと、今上天皇とのつながりが何より大事だというなら、
母方旧宮家の復活など述べる必要性はない。
もっと言うなら、所氏が挙げた「母方旧宮家」は、東久邇家を除けば、
昭和天皇の5人の皇女で、東久邇家に嫁がれた照宮成子内親王以外の方々の御子孫よりも
母方では今上陛下と遠い。
今上天皇との血縁関係の近さをいうのであれば、それらの方々まで含めなければ、
論理の整合性がとれない。
所氏がなぜ母方といえでも「旧宮家」を挙げたのかというと、
旧宮家とは戦前まで正統な宮家だったからである。
正統な宮家とは、男系男子の皇統の危機を支える役割を担う。
所氏は「父方は約40親等離れている」というが、
明治天皇は、4人の皇女を嫁がせになられた宮家以外の宮家についても
永世皇族を望まれたのだ。
なぜなら「皇統=男系」というお考えだったからではないか。
戦前には所氏が挙げた「母方旧宮家」以外の宮家にも、
正統な皇族として皇位継承権があった。
所氏は戦前であっても、それら宮家に皇位継承権はなかったと述べているのか。
所氏が「母方旧宮家」の復活に理解を示されたことについては評価するが、
結局、女系天皇論、女性宮家推進論を主張してきたことと整合性を持たせようとするから、
様々な矛盾が発生してしまうのだ。
所氏は皇室を守りたいのか、学者としての自分を守りたいのか、
いま、そのことが問われているのではないか。
最後に、旧宮家の復活のために、憲法改正が必要になる見解は初見である。
女系天皇を実現するためには憲法改正が必要になるという話は何度も聞いている。
憲法第2条にある「皇位の世襲」とは男系を意味する。
通常、世襲には女系(非男系)も含まれるが、皇室の場合は一般論の外になる。
なぜなら、一般的には自分に娘がいるのに、弟や従兄弟が相続することはありえない。
皇位の世襲とは、皇室にのみ当てはまる概念であって、男系による継承を意味する。
ところが、内閣法制局はそうではないという見解を示している。
なぜかというと、大日本帝国憲法と日本国憲法との関係性は
法的に断絶していると考えているからだ。
いわゆる憲法学会でいうところの「八月革命説」である。
つまり、今の日本は戦後からスタートしたものであり、
あくまで現行憲法だけを考えて判断するという。
これが戦後民主主義思想である。
しかし、戦後の日本政府や保守系といわれる人々は、そのような考え方をとらなかった。
現行憲法は帝国憲法の改正憲法であり、
わが国の体制は、戦前と戦後を通して連続していると考える。
天皇の根拠、由来は、帝国憲法にあるとおり、歴史・伝統に基づくものである。
国家の体制は断絶していないことから、戦後も当然にそれを受け継ぐと考えるのが、
正しい国家観、憲法観であると考える。
現行憲法第2条にある「皇位の世襲」の意義を男系とは考えず、
現行憲法のみで判断し、旧宮家の復活には憲法改正が必要であると主張する所氏は、
まぎれもなく憲法学上の八月革命説を唱えるものであり、
まぎれもなく戦後民主主義を信奉していることの証となる。
靖國神社の総代まで務められ、
これまで歴史分野で国の誇りを取り戻す活動をされてきた所氏だが、
本当にそれでいいのか、改めて問いたいと思う。
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