保守主義の政治と経済
経済学の考え方でいえは、私は反ケインズの立場で、ハイエクを尊敬する。
簡単に言えば、ケインズは財政政策を活用して景気の循環を支えるという考えで、
一方、世の中はそんな頭で考えているようにはうまくいかないと考えるのがハイエク。
たまに誤解されるが、ケインズというのはあくまで自由主義経済を基本と考えている。
ベーシックには自由主義経済があって、国家の財政政策によって
その動きを助けるという考え。
ところがそんなにうまくいかないと考えるハイエクは正しい。
例えば、小渕内閣のときに経済危機から脱するために積極財政に転じ、
政府の当初予算は77兆円から83兆円に膨れあがった。
確かに経済危機を解消することはできたが、
あれから7年経ち現在の当初予算は90兆円を超えている。
しかし、小渕内閣で過去最高規模となった公共投資の額は、現在およそ半分となった。
公共投資が半減しているにもかかわらず、予算は膨れあがっている。
ケインズの理論は一見正しいように見えるが、
実際にやってみたら、国家予算がどんどん膨れあがって、
気がついたら社会主義にようになってしまう。
それを設計主義と批判したのがハイエクで、私はその考え方を支持する。
だから自由主義の立場からインフレ策、積極財政を批判する人の気持ちはわかる。
ただ、彼らが主張しているようなことは1929年以降のアメリカではほぼ無力であった。
当時、マクロ経済学はなかったが、政治は為す術がなく、
結果的にアメリカ経済が本格的に復活したのは第二次世界大戦期となる。
戦争による大型財政支出がアメリカ経済を救った。
経済というのはそういうことが起こる。
だから政治には、わかっていてもあえてやらなければならないことがある。
「政治の経済政策」と「経済学」は異なる。
政治には思想信条に関係なく短期的にはやらなければならないことがある。
それをわかっていてやるか、わからずにやるか、ということが最大の違いだろう。
世の中は机の上で考えているようにはいかない。
目の前の現実を何とかしなければならないのだ。
経済には短期的な問題と中長期的な問題がある。
中長期的なことが経済についての思想・哲学であるが、
短期的な問題は思想信条に関係なくやらなければならないことだ。
現在における金融緩和、公共投資がそれだ。
自民党にもそれがわかっている人と、わかっていない人がいると思う。
だから、日本維新の会やみんなの党から
「公共投資をじゃんじゃんやれば古い自民党に逆戻り」といった類の批判を受けても、
明確に説明することができなかったりする。
「日本や世界における現在の経済状況は、そんな悠長なことを言っている場合ではない。
いまはこの危機的状況を脱するために、政府ができることは何でもやる。
しかし、そんなことは本来ならやるべきことではないから、
経済が回復基調に戻れば、徹底的な構造改革を進めなくてはならない。
その時には日本維新の会やみんなの党の協力が不可欠になり、共に頑張っていきたい」
という説明をやれば、ビジネスマンは必ず理解できるはずだ。
ビジネスマンには家族がいるので、主婦らも自民党の政策を支持するだろう。
アメリカは世界大戦により大不況から脱するが、その後も大きな政府路線が継続され、
経済が慢性的に低迷していく。
そこに切り込んだのがレーガン大統領で、私は彼の方向性は正しかったと考えている。
ところが、アメリカのものづくりはすでに衰退し、金融しか残っておらず、
金融を中心とするグローバリゼーションに突き進んでいくことになる。
日本もまたすでにものづくりの衰退がはじまっている。
その原因の一つに長期デフレがある。
まずはデフレ脱却により大不況から抜け出すことが喫緊の課題であるが、
それだけでバラ色ではなく、社会保障大国になりつつある国家の仕組みを、
徹底的に構造改革し、厳しい競争の中でものをつくる経済を取り戻さなくてはならない。
国民の福祉は国家が保障するするのではなく、
民間経済が保障するのが最も正しいあり方だと考える。
小泉政権は新自由主義だと批判されたが、その方向性は一定の評価ができる。
ただ、短期的な対策と中長期的なあり方を完全に混同してしまっただけだ。
それを当時の小泉首相のそばで見てきた安倍総理は、十分に理解されていることと思う。
“保守”というのは、「誰かが頭の中で考えた世の中なんぞ糞食らえ」と思うから、
社会主義を否定し、自由主義経済を選んだのである。
デフレから脱却し、日本経済が回復基調になったとき、
保守の本当の真価が問われることになるだろう。
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