長く続くということ




産経新聞に次のような記事があった。


「三宅坂」半世紀に幕 社民党本部移転


長く続けるというのは大変なことで、

長く続いているものには正統性があると考える一つの象徴的な事象だといえるだろう。

崩壊した社会党よりは自民党の方が正しかったという証明。

自民党は社会党より正しかったということであり、

自民党そのものにどれだけの正統性があるかどうかは、また別の話となる。


一般的によく、しばらく続いていることに対して

「悪しき伝統」だとか「陋習」(ろうしゅう)といった悪い印象で語られることが多い。

しかし、長く続けるというのは簡単なようで非常に難しい。


二百年以上続く会社を老舗と定義するなら、世界には7千社程度の老舗がある。

そしてその半数以上は日本に存在する。

基本的にものごとは長く続かないのだ。

幾世代も続くというのは大変なことで、続くだけの何か正統性があるということだ。

正しいものしか長く続かないと考えると、

日本には正しいことがいっぱい詰まっていることの証明となる。

社民党は論外だが、自民党もまだまだ老舗ではない。


「悪しき伝統」にも「陋習」にも、

続いたからには何か正しいものが含まれていたはずだ。

そういうことを考えた上で改革することと、

何も考えずに改革するのとでは、まったく意味が異なる。


長く続いているものは、何であっても頑強に守らなければならない、ということではない。

それだと300年近く続いた江戸幕府を潰せないことになってしまう。

幕末の段階で徳川幕府は老舗である。

古くから続いているものを大切にするという基本認識があったからこそ、

明治に制定された大日本帝国憲法は、

日本が神話から続く天皇を中心とする国であることを明確に表した。

明治維新には「革命」ではなく「復古」の精神があった。


中国では秦の始皇帝以来、一つの王朝が300年以上続くことはない。

ほとんどの王朝は老舗にすらなれなかった。

中国共産党体制は300年続くことはないだろう。

北朝鮮も同じ。


人間にとって正しいものだけが長く続くことを許されるのだ。

そう考えると二千年以上続く皇室が、

世界史レベルでどれだけ凄いことであるか、よくわかる。






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