伝統と諸行無常
保守派にとって伝統を大切にすることは大事なことだけど、
誰かが「これが伝統だ」と断言したら左翼と同じになる。
そこが難しい。
それを伝統だと考えている人の頭の中で思い描く世の中をつくり上げることになる。
それもまた設計思想と同じ。
日本は伝統を重んじる国ではあるが、古いものが何でも残っているわけではなく、
むしろ形あるもののほとんどは消え去っている。
平安時代と室町時代と江戸時代はそれぞれまったくちがう。
形あるものは消え去りながら、その中にある日本的なものが受け継がれていく。
それは特定の誰かによって決められたことではなく、
時間と共に自然となされてきたことだ。
すなわち保守とは正解のないことをその時々によって寛容的に続けていくことであるが、
誰かが正解を口にすると左翼と同じ全体主義に陥る。
ここの微妙なところを理解できるかどうかが保守の真髄といえるだろう。
保守とは思想ではなく、実践、経験と言われるのはそういうことだ。
伊勢の神宮は、20年に一度、形あるものを取り壊し、
社殿を新しくしながら祭祀を続けている。
形あるものを壊しながら、形のないものを残していく。
これは日本のあり方を示しているものといえる。
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