左翼の構造を知り、根底から叩く
政治思想として私は保守派に分類されるのだろうが、
私は右派やナショナリストではなく、
考え方やものごとの根拠をどこに置くかという話をしているに過ぎない。
人間は進歩するから、そのときに生きる人間の理性を最高と考えるか、
あるいは、たかだか一世代に生きる人間の理性には限界があり、
世代を超えた時間軸を中心に考えるか、それだけのことである。
私は後者の立場を取るものであり、
あえて歴史や伝統を破壊しようとする勢力だけを排撃して、
あとは自由に任せておけばいいという考え方だ。
日本がどういった国家になるのが理想などと考えない。
そんなものは、ほっとけば自然とつくられていくのであり、
美しい日本の国柄は長い時間のなかでそのように築き上げられてきた。
南京大虐殺や従軍慰安婦問題は事実関係をはっきりさせればいいだけのことである。
それ以上でもそれ以下でもない。
政治家は海外への対応としては、そのことだけを明言すればいい。
国家の名誉や誇りなど口にする必要はない。
稲田朋美政調会長にもそのことは留意してもらいたい。
イデオロギーなど関係なしに、事実関係だけをはっきりさせるとなると、
それに反対する側の立場が悪くなる。
反対する人に、あたなは言論を封殺するファシストか、と言えばいい。
こちらの土俵をつくって、そこに相手を引き込むべきであり、
相手の土俵では決して戦ってはいけない。
国家の名誉を守るために、先人たちの言われなき汚名をそそぐ、
というスタンスを取れば、結論ありきの対応であると曲解されかねない。
この問題で喧嘩するなら必ず勝たなければならない。
正論だけを述べて突撃するのは政治家の仕事ではない。
確実に結果を出さなければならない。
先の大戦についての解釈だけは、このスタンスを徹底した方がいい。
左翼が歴史を否定して、反日自虐史観を述べるのは、左翼思想に基づいている。
冒頭で述べたように、人間は進歩するので常に現代人の理性が上位と考えるなら、
必然的に歴史は野蛮であるという結論を導く。
だから、彼らはデタラメを用いてでも歴史を否定しようとする。
事実関係などどうでもよく、過去を野蛮とすることができれば何でも良いのだ。
事実関係などどうでもいいと考えている連中と、
事実関係について議論して噛み合わないのは当然である。
従軍慰安婦強制連行などということが、いかに馬鹿げているかということは、
ちょっと考えれば誰にでもわかることを、なぜそのような主張をするのか、
保守派の人は不思議に思うだろうが、
彼らにとって事実関係はどうでもいいことだとわかれば納得できるだろう。
このような状況で戦うには、国外への対応としては、
ただひたすら事務的に事実関係だけにこだわること。
国内的には、進歩主義に基づく歴史否定の構造を明確にし、
事実に関係なく歴史を否定しようと反日勢力のやり方を批判する。
そして、一世代だけの人間の理性の限界を語り、
歴史・伝統に依拠した考え方がいかに国家を安定させ、
美しい国柄を形成してきたかということを説明すれば、
多くの国民は納得できるだろう。
ところが何が伝統であるかということは誰が判断するのか難しいところがある。
長く続いているものが単純に伝統なら、江戸幕府を壊すこともできず、
明治維新は成し遂げられなかった。
それぞれの伝統を人間が判断するのは不可能である。
大事なのは、人間に伝統は判断できないというなかで、
さしあたり伝統を尊重しようとする心があることだと思う。
その心が中心にあればこそ、維新は成し遂げられ、
また新たに伝統が築き上げられていくだろう。
明治維新は革命ではなく王政復古がスローガンだった。
世界最古の歴史を有する日本は、世界で最も安定した国である。
その「美しい日本」(安倍晋三)、
「道義大国」(稲田朋美)を守り抜く政治に期待したい。
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