戦後100年の土台となる談話を



先日、知人と食事をしていたとき、

昭和12年の盧溝橋事件以降の対中戦争のことを

日中戦争と呼ぶのはけしからんと嘆いておられた。

当時は日中戦争という言い方はなく「支那事変」と呼ばれていた。

なぜ、戦争ではなく事変と言ったのか。


教科書的な説明では、当時のアメリカは外国の戦争に対して中立を保っていたので、

戦争している国の一方と貿易しないことになっていた。

中国と戦争すればアメリカからの石油などの輸入が止まってしまうからというもの。

中国も同じでアメリカとの貿易が止まるのは困る。

双方にとって「事変」の方が都合よかった。


それも事実ではあると思うが、

当時の認識からいって支那事変が本当に戦争だったのか、

もっと深く考えてみたい。

そもそも当時の蒋介石政権の中華民国とは国だったのか。

現在、中東で猛威をふるうテロリスト組織の「イスラム国」は、

国という名称がついているが国ではないのと同じではないか。

蒋介石政権は、毛沢東の共産党軍や他の勢力と内戦していたことからも

わかるように、良く言えば中国にあった軍閥の一つ、悪く言えば山賊。


現在、テロ組織「イスラム国」と戦っている国家の兵士は、

敵に捕まったらとんでもないことになると考えているだろう。

ヨルダン軍のパイロットは焼き殺された。

当時の日本軍もそれに近いところがあった。

蒋介石軍に捕まったら、戦時国際法など通用せず、

何をされるかわかったものではなかった。

事実、敵に捕まった日本兵は惨殺されることになった。

日本から見れば蒋介石の国民党政府はまともな国ではなかった。

だから事変というのは、その性質的にも正しいのではないか。


その後、台湾に逃げた「中華民国」は総統選挙を行うまで何十年も要したし、

「中華人民共和国」にいたってはいまだに選挙ができない有り様だ。


現代において支那事変のことを日中戦争と呼ぶことは、

日本が侵略戦争をやったというイメージをつけやすいからだろう。

しかし、根本的なことを考えなくてはならない。

日本は当時の中国を侵略して何の得があったのだろうか。

お金も資源も産業も何もないあの国を侵略する意図は何なのか。

何もない。

当時、本当に問題だったのは中国が日本を敵対視していたことであり、

テロなどを繰り返して戦いを挑んでくることであった。

結果的にそれに応じるかたちで軍を進めたのが支那事変で、

日本からすれば戦争ではなく鎮圧であった。

まさにイスラム諸国による、「イスラム国」との戦闘のようなものだったのだ。


ちなみに日本にとって日韓併合も満州事変も、経済的には何のメリットもない。

かかる費用の方が圧倒的に多かったのだ。

目的はすべて国防のためだった。


第二次世界大戦後に朝鮮戦争が始まって、

マッカーサーは日本のやってきたことの意味がようやくわかったのである。

すでに東西冷戦が始まっており、アメリカの国務長官が

対共産主義国の絶対防衛ラインは日本だと公言すれば、

北朝鮮軍が38度線を越えて進軍し、朝鮮戦争が勃発した。

北朝鮮軍は瞬く間にソウルを占領し、そのまま釜山にまで迫ったとき、

朝鮮半島が赤化すれば日本を守るのが大変になることがわかった。

すぐに朝鮮半島に米軍を投入し、北朝鮮軍を北方まで追いやるが、

中国の東北部(旧満州)から軍と物資が送り続けるられることに

頭を悩ませたマッカーサーは、中国を爆撃したいと本国に要請する。

しかし、戦火の拡大を恐れたトルーマン大統領はマッカーサーを更迭したのだ。


日清戦争も日露戦争も、シナ事変も、大東亜戦争も、

西洋列強の帝国主義から日本をどう守っていくかが最大の目的であって、

領土的野心や、富を得るために戦争を始めたことは一度もない。

結果的に大きく国策を間違えたこともあったが、

侵略を意図したことはないのだ。


今年、戦後70年の総理大臣談話を出すにあたって、

今述べたような内容とするのは不可能かもしれないが、

戦後100年には上記のような内容の談話が普通に出てくるような土台となる

しっかりとした談話を安倍総理には発表してもらいたいと考える。





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