憲法は歴史と伝統から発見するもの



憲法記念日である本日(5月3日)は、正確に言うと憲法改正記念日である。

大日本帝国憲法を改正してできた現行憲法が施行された日。

もし安倍政権で憲法改正が実現したとすると憲法記念日は移動するのだろうか。

そうしなかったら、戦前と戦後を分断した八月革命説を裏付けることになりかねない。

憲法には、ただ改正すればいいというだけではない根深い問題がある。


日本国憲法は大日本帝国憲法と関係のある(連続性のある)憲法なのか

そうでないのか、憲法記念日ということについて、そこを考えなくてはならない。

この憲法を否定するの簡単だが、帝国憲法との連続性まで無視して否定すると、

今後、いくら憲法を改正しても、帝国憲法と分断した状態は改善されないことになる。


憲法の本質部分は、誰かがつくるということではなく、

その国にすでにあるものを発見することである。

制定ではなく発見。

わが国はこういう国である、というのを誰かが決めるのではなく、

すでにある歴史と伝統を確認しているに過ぎない。

その視点からの憲法改正が実現してこそ、

真の戦後体制からの脱却といえるのではないか。


憲法学では憲法をつくる権限のことを「憲法制定権力」と呼ぶ。

憲法制定権力(制憲権)はその国の中に存在する主権を意味する。

大日本帝国憲法では制憲権が天皇にあった。

これは戦前からの考え方である。

憲法改正の発議は天皇しかできない。

憲法改正により制憲権が天皇から国民に移ったというのは、

国の根本原理がひっくり返ったことになるので、

これを宮澤俊義は八月革命説と呼んだ。

これが今でも憲法学会の通説となっている。

改正という手続きをとって国家の法的な断絶(革命)が行われたと。


八月革命説が今でも憲法学会の通説であるのは、

憲法学会が左翼ばかりだからなのではなく、

憲法制定権力を出発点にすれば当然にそのような結論を導いてしまうのだ。

憲法とは誰かがつくるものではなく、すでにあるものを発見するものである。

主権については、憲法制定権力ではなく「憲法発見権力」とする。

これで八月革命説は総崩れとなる。

主権を憲法制定権力ではなく憲法発見権力と考えれば、

主権が天皇から国民に移ろうが、法的革命でもなんでもなくなる。

誰が発見しようが歴史と伝統は不変であり、結果は同じだからである。

憲法発見権力(主権)の存在は、手続き上の問題に過ぎない。

憲法の本質は歴史と伝統から発見するもの。

これをキーワードに憲法も憲法学も変えていく必要がある。









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