さきの大戦に対する「深い反省」とは



8月15日の全国戦没者追悼式で天皇陛下は

「過去を顧み、深い反省とともに、

今後、戦争の惨禍が再び繰り返されないことを切に願い」

というお言葉を発せられた。

昨年に引き続き仰せになった

この「深い反省」というキーワードについてどうとらえるか。

右や左の勢力から様々な見解が示されてきたが、

私が率直に考える「さきの大戦」の評価も交えて少し論じてみたいと思う。


「大東亜戦争は正しい戦争であったか、間違った戦争であったか」と問われれば、

私は間違った戦争であったと答える。

その理由はただ一つ、負けたからである。

この戦争の敗戦により、民間人を含めて三百万人以上の国民の命が失われ、

下手をすれば国が滅びかねない状況にまで陥った。

さらには、現在までマスメディアや教育機関を中心に反日勢力が跋扈して、

この国で正しい歴史を教えられない環境、すなわち戦後レジームが作り上げられた。

これらはひとえに戦争に負けたからこうなったのである。

戦争に負けなかったらこんなことにはならなかった。

負けた責任は極めて重たい。


「大東亜戦争は正しい戦争であったか、間違った戦争であったか」と問われれば、

間違った戦争であったと答えるが、

「大東亜戦争が侵略戦争であったか、そうではなかったか」と問われれば、

私は侵略戦争ではなかったと即答する。

当時の日本政府は厳しい国際情勢のなかで、

ぎりぎりの政治外交判断を迫られていたという現実があったわけで、

一方的に他国を侵略するなどという短絡的な状況ではなかった。

厳しい国際情勢のなかで政策判断で失敗しただけである。

その失敗に対しての「深い反省」は必要である。


右の勢力は「大東亜戦争はアジア植民地解放を目的とした正しい戦争なので、

間違っていたのは欧米諸国であるから反省など必要ない」と言い、

左の勢力は「侵略戦争の責任を問い謝罪せよ」といった自虐史観を述べる。

しかし、いま求められているのは、そのどちらかではないと私は考える。

正しい判断であったかどうかは別にして、

日米戦争が自衛を目的とした戦争であったことは間違いないだろう。

日本はアメリカを占領して支配しようなどと毛頭考えていなかったわけだから。

またアジア諸国に進軍したと言っても、

戦った相手は西洋人であり、現地人と戦争したわけではない。

日本軍がアジア諸国を占領したのは、

その地を支配していた敵と戦争中だったのであるから当然である。

戦後も占領を続ければ植民地支配という批判も成り立つが、

戦争継続中の占領地のことを植民地などという論理は成り立たない。

一方の、大東亜戦争が欧米列強国から

アジアの植民地開放を目的とした正義の戦争であったという考え方も無理がある。

確かに大東亜戦争がきっかけとなり

アジア諸国の独立が連鎖的に起こったのは事実である。

絶対に勝てないと思っていた西洋人を、

同じアジア人である日本軍が目の前で蹴散らす姿を目の当たりにすれば、

もはやこれまでのような言いなりにはならないという

自信をアジアの人々に与えただろう。

それにより日本の敗戦後、再びアジア諸国に入ってきた西洋人に抵抗し、

独立へと立ち上がった。

しかし、大東亜戦争直前、日本はぎりぎりまで

日米開戦を回避しようとしていたわけであり、

例えば野村・ハル会談がうまくいっていれば、アジア諸国を見捨てたことになる。

アジア解放戦争といったそんなに単純な話ではないのだ。


安倍晋三総理は第一次安倍内閣で「戦後レジームからの脱却」を掲げた。

ここで言う戦後レジームとは、日本国内のことだけを指しているのかもしれないが、

国際政治の観点から見た場合、

戦勝国(連合国)による戦後の世界秩序もまた戦後レジームと考えることもできる。

日本が侵略戦争を行ったという自虐史観から脱却するためには、

戦勝国による世界の戦後レジームと対決することになり、

現実的にはそれは不可能だと絶望するか、国際的孤立を覚悟で突き進むか、

どちらかになると考えるかもしれない。

戦前の日本の行動は正しく、

間違っていたのは連合国側だという立場をとるならそうなるかもしれないが、

日本は侵略行為を行ったわけではないが、

大東亜戦争は政治的判断として失敗だったという立場であるなら、

必ずしも連合国の立場と相容れないということにはならない。

むしろ、連合国側、とりわけアメリカに対して、日本を追い詰めすぎて、

政治的判断を誤らせる原因を作ったと反省する余地を

導き出すことができるかもしれない。

反日自虐史観では、日本は他国を侵略するようなひどい国なので、

慰安婦も強制連行するし、南京大虐殺も行うという物語を作られてしまったのだ。

それに対して、大東亜戦争は日本を滅亡の危機に導いた政策的失敗であるが

侵略戦争ではないというスタンスを貫けば、

まだ諸外国も話を聞きやすくなるだろうし、

最終的にこの歴史認識の問題で欧米と日本が折り合いをつけることもできるだろう。

侵略戦争の謝罪という意味での反省は必要ないが、

政治判断の失敗としての反省は必要だし、

天皇陛下のお言葉にある「深い反省」とは、

そういうことではないだろうかと私は考える。





もどる