旧皇族はいつまで旧皇族か




高森明勅氏など女系天皇推進論者は、現在の旧宮家の方々について、

一分一秒たりとも皇族であった時期はなく、旧皇族ではないと主張している。

要するに、およそ70年前、GHQの占領期間中に

皇籍離脱をさせられた当時の人たちは旧皇族であるが、

皇籍離脱後に生まれた人たちは一般人として生まれ育ったのだから

旧皇族ではないと。


それについて私は唯物論的な考え方であると批判している。

本質的な皇位継承資格というのは、人間が決められることではない。

例えば、現在、皇室におられる内親王、女王方といった女性皇族は、

本質的には皇位継承権は持ち得ているが、皇室典範で制限しているだけだ。

だから女系はダメだが女性天皇はあっていいのではないか、という議論も出てくる。

「潜在的」な皇位継承権を「顕在化」させようというもの。

私は現在の制度において女性天皇について反対の立場であるが、

一つの意見としては尊重する。

これは「潜在的」に皇位継承権があるから「顕在化」させることができるのであって、

潜在的にも皇位継承権のないものは、顕在化させることはできない。

いわゆる女系というのはまさしくそれで、潜在的に皇位継承権がないので、

いくら皇室典範を改正しても、皇位継承権を付与することはできない。

もし、付与すれば歴史的な意味と異なる皇族が誕生することになり、

その皇族が天皇になれば皇統は一度断絶することになる。


それでは、旧皇族はどうだろうか。

潜在的にも顕在的にも戦前まで皇位継承権があった人たちを、

国の政策によって、正確には占領軍の政策によって皇籍離脱をすることとなった。

すなわち顕在的な部分の皇位継承権を失わせたのだ。

しかし、潜在的な皇位継承権まで失わせることはできない。

そのとき生きているに過ぎない人間が決めた顕在的な部分をもって、

一分一秒も皇族であった時期はないということが、

まさに目に見えるものしか信じないという唯物論的であるということだ。

目に見えない潜在的な皇位継承権は継承されている。


潜在的な皇位継承権の有無は相対的に決まると、私は常々述べている。

例えば、古い話であるが、第25代武烈天皇が跡継ぎ不在で崩御されたとき、

他に皇位継承資格者がおらず、

武烈天皇と10親等離れた男大迹王(をほどのおおきみ)を

越前まで迎えに行くこととなった。

王という呼び名はついているものの、

このときの継体天皇は事実上の地方豪族となっていた。


もし、武烈天皇のお子や兄弟、その子がだくさんおられた場合、

越前におられたのちの継体天皇には皇位継承資格はなかったであろう。

武烈天皇に近い皇族が何人もいるのに、

それを差し置いて地方豪族化していた皇族子孫が天皇になるなどあり得なかった。

武烈天皇の周辺に皇位継承権者が誰もいなくなったので、

相対的に継体天皇が注目されることになった。


現在の旧宮家も同じである。

仮に皇太子殿下、秋篠宮家、三笠宮家、高円宮家などに

男のお子が多数おられたなら、旧宮家に注目が集まることはなかっただろう。

しかし、現在の皇室にお子が悠仁親王殿下お一人ということで、

相対的に旧宮家に対する期待が高まってくるのだ。

旧皇族が旧皇族でなくなるときは、皇室に男子がたくさん増えたときである。

反対に皇室に男子が少ない状態が続けば、

いつまでも旧皇族が注目されることになり、

潜在的な皇位継承権は受け継がれていくことになる。

したがって、GHQの占領期間中に皇籍離脱を余儀なくされた11宮家の子孫は、

現時点でも紛れもなく旧皇族なのである。






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