皇籍復帰の先例
旧宮家の復活に反対する立場の人は、
皇室という聖域で生まれ育つことを重視する。
そして旧皇族の方々はすでに民間人として生まれ育っていることを問題視する。
その観点は確かに重要かもしれないが、絶対的要件ではない。
例えば、一般人の赤ん坊を聖域で育てたからといって皇族にはなれない。
やはり大前提に血統の原則がある。
血統とは例外なく男系により継承されてきた。
聖域は重要だが絶対ではない。
血統があっての聖域である。
臣籍降下して姓を賜った人が皇室に戻り天皇になったケースはある。
第59代の宇多天皇がそうだ。
父、光孝天皇が26人の皇子女を臣籍降下させ、源氏とした。
後の宇多天皇となる定省王もその一人で、源定省(みなもとのさだみ)を名乗った。
その後、光孝天皇が重い病に伏せた際、
他に皇位継承資格者がいたにもかかわらず、
事情により源定省が皇族に復帰し、皇太子となった。
さらに、宇多天皇の皇子である後の醍醐天皇は、源氏の子として生まれている。
女系天皇容認論者の言葉を借りれば、
生まれたときから一分一秒たりとも皇族であった時期がないにもかかわらず、
皇室に復帰し、天皇にまでなった。
また、天皇には即位していないだけで、臣下から皇族に復帰した例はいくつもある。
一方で、天皇の女系子孫が天皇はおろか皇族にすらなったことは一例もない。
二千年の歴史で一例もないことと、
原理原則に則った過去の例のどちらを参考にすべきかは、考えるまでもない。
二千年以上、父子一系で続く皇統は、世界史的に奇跡となる。
常識ではあり得ないことが続いたのであれば、
現代人の普通の発想で今後のことを考えるのは無理がある。
女系天皇容認論、女性宮家創設は現代人の浅知恵と言って過言ではない。
今後、千年、二千年と皇室を継続させたいのであれば、
とるべき道は二千年続いた実績から発見するしかないだろう。
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