皇統の原理原則
皇位継承の歴史において、時間の縦軸では男系を基本として、
横軸では女系も配慮することがあった。
その一つが皇位継承危機に際しての宮家(傍系)からの即位だ。
江戸時代、後桃園天皇が後継なしで崩じられたとき、
次の天皇を世襲親王家から出すことになったが、
その条件が後桃園天皇の皇女であった欣子(よしこ)内親王との結婚だった。
世襲親王家は、男系では天皇と血筋が離れるので、女系で近づけようとした。
ここで重要なのは欣子内親王が後継と考えられなかったことだ。
二代前の天皇が女性天皇(後桜町天皇)であったこともあり、
当時は女性天皇に対する抵抗感はなかったはずだ。
欣子内親王が即位して、夫を宮家から迎えれば男系は維持できるが、
それはやらなかった。
これが皇統の基本的な考え方なのだ。
直系男子の皇位継承者が不在となった場合、
あくまで傍系の男系男子が即位し、直系の皇女はお后として皇統を支える。
皇統はあくまで父子一系を原則とし、
母系で継承したような形跡は一切残さなかったのだ。
この事実から考えても女性宮家というのはあり得ないことがわかる。
いくら女性宮家の夫を旧皇族から迎えても、
母方を介して皇位継承資格を受け継げば、
父子一系の原則は崩れてしまうのだ。
したがって、皇位継承危機に備えて、必ず男系男子の宮家を立てる。
これを基本としなくてはならない。
ちなみに、光格天皇のお后となった欣子内親王は
結果的にお子を残すことができず、後桃園天皇の血統は途絶えることとなった。
当時の感覚としては、傍系の宮家は男系では天皇と血筋が離れているので、
直系の内親王との結婚で近づけたかったのだろうが、
そこから百年以上経ってみれば、そんなこと誰も気にしてはいない。
後世の人間にとって当時の思いなどまったく関係なく、
男系男子により継承した原理原則だけが残っていくのだ。
現在の皇室に旧宮家から男子を迎えるにあたり、
男系では離れているので、
女性皇族と結婚したほうがいいのではないかという意見もあるが、
それはあくまで横軸の話であって、
百年後の日本人にとって
たいした意味は持たないということは知っておくべきである。
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