自由恋愛と未婚率




先日、愛国的なある女性が「独身のままもうすぐ50歳になる。

子供産めなかったことを社会に対して申し訳なく思う」ということを語っていた。


日本は、いや世界は、と言うべきか。

いま新しい試みの中にいる。

それは自由恋愛と少子化の関係である。

家制度があった時代は、

親同士が決めた結婚や見合い結婚などにより

家を継承することが当たり前となっていた。

子供をたくさんつくって、長男が跡を継ぎ、女子は嫁に行く。

次男三男が生まれると、男子のいない他家へと養子に出た。

男女ともに一定の年齢にさしかかれば結婚するのが当然とされていた。

ところが自由恋愛が主軸となると結婚しなくてもいいという選択肢が生まれる。

そして社会は少子化に向かう。

今でも夫婦間の出生率は2ある。

少子化の原因は未婚の増加だ。

少子化対策として保育園の整備などあげられるが、

独身の男女が保育所の環境を気にして

結婚するしないという判断をしているとは到底思えない。


自由恋愛が中心になると未婚が増える。

この問題について、いまだ明確な解答は見られない。

自由というのは一般論でいえば、

他人の自由や権利を侵害しないかぎり認められるものだ。

しかし、他人の自由と権利を侵害しないかぎりといっても簡単ではない。

例えば自殺の自由はあるか。

家族がいれば影響を及ぼすが、

天涯孤独の人は誰にも迷惑をかけないので自殺する自由はあると言えるか。

道徳的にはそれは認められない。

その根拠は、自殺を自由に認めるような社会は、

結果的に社会にマイナスの影響を与える。

どこかで他人に迷惑がかかるのだ。


それでは結婚しない自由はあるか。

自分がコンビニやスーパーで買い物したり、電車に乗ったりできるのは、

世の中の人が結婚して子供をつくって社会を形成しているからである。

結婚しない自由が認められるためには、自給自足の生活を送るしかない。


しかし問題なのは、冒頭で申し訳ないと語ったその女性は、

別に結婚しないことが自由だと思って独身を貫いているわけではない。

結婚しないつもりはなかったが、

普通に生活していたらそうなってしまったのだ。

結婚するというのはある種の強制力のようなものが必要なのだと思う。

例えば、いわゆる“できちゃった婚”が増えているのは、そういうことだろう。

交際している彼女が妊娠すれば腹をくくるしかない。

腹をくくるというのはある種の強制力なのだ。

また、長く交際していれば彼女からプレッシャーがくる(笑)

それも強制力だ。

強制力がなければ男は煮え切らないもの。


だから、未婚である人たち、特に女性は申し訳なく思う必要はない。

普通に生活していればそうなってしまう世の中なのだ。

もちろん少子化の原因が自由恋愛だというのも一つの仮説に過ぎない。

人間も生物なのだから、人口が増えすぎると、

自然と人口調整機能が働くという説もある。

江戸時代の日本の人口は3千万人程度で、現在はその約4倍だ。

この小さな島国で多すぎる人口を調整していると考えることもできる。

実際、人口密度の高い大都市圏での少子化は目立つ。

大都市で家族は生活しにくいのだ。


ともかく自由恋愛が未婚を増加させることが

少子化の要因の一つであることは間違いないが、

それについて、明確な対応策は今のところない。

今さら家制度の復活を求めるのは不可能である。

世の中の大きな流れというのは、人為的に変えることはできない。

もはや後戻りはできないのだ。

解決策は世の中を動かしながら見つけていくしかない。

このままいけば何十年後かに日本の人口は5千万人を下回る

という計算が示されたりもするが、そんな計算通りにいくはずもない。

まさか百年以上先に人口がゼロになるわけもあるまい。

遅かれ早かれ人口減はどこかで止まる。

その流れを見極めながら、それに沿った政策を実行するしかないだろう。


東日本大震災のあと、結婚する人の数が増えたという。

あのような非常事態になったとき、

やはり家族がいるほうが良いと思うようになったということだ。

上から目線で古い道徳を押しつけるのではなく、

「家族っていいな」と思えるような風潮が出てくれば、

人は自然と結婚するようになるだろう。


私は日本という国は一種の生き物だと考えている。

例えば個々の人間は、古くなった細胞は消え、新しい細胞が生まれ、

何年かで体内の細胞はすべて入れ替わるという。

日本国の細胞が人であり、人は入れ替わりながら、国は継承されていく。

そこには多くの外国からやってきた人も含まれる。

日本人というのは人種ではなく、

日本的な価値観を共有できる人のことをいう。

だから外国から渡ってきて、

普通に日本人として溶け込んでいった人は古来無数に存在する。

その国家の生命のことを古い言葉で表現すれば国体というのだろう。


人間の一生は死んだらそれで終わりなのであれば、

自分さえ良ければいいという自己中心的になるだろう。

事実、歴史も伝統もない近隣国にはそのような人たちが多数存在する。

日本の場合は、すべてが子々孫々まで続くと考えるから、

道徳が根付き、人のために何かをしようという気持ちが出てくる。

滅私奉公という言葉もある。


大東亜戦争末期、特攻隊に志願した若者の中には未婚の人たちが多かった。

自分さえ良ければいいという考えだったら、

わざわざ他人のために命を投げ打つことはできない。

自分は死んでも、自らその一部となった日本という国が

子孫に受け継がれていけばそれでいいと考えた。

つまり、時の政府のためではなく、国体を守るために命を投げ出したのだ。


社会という単位で考えれば、

結婚しない自由というのはないのかもしれないが、

結婚する人しない人、子供のいる人いない人、

子供を作らない人、人それぞれであるが、

日本という国が子々孫々まで継承されていくことに

何か貢献ができればそれでいいと思う。

自分さえ良ければという考えでなければ、それでいいのではないだろうか。






もどる