敵の敵は味方ではない



日本では核武装を検討しただけで右翼、それも極右扱いを受ける。

それでは核開発で問題となっている北朝鮮は右翼なのか?

かつてのソ連や中国共産党は?

核開発は単なる政策論であって、思想とはまったく関係がない。

歴史的に左翼が政権を担った国で、平和主義を実践した事例は一つもない。

フランス革命のジャコバン派、ソビエト連邦、

中国共産党、北朝鮮、キューバ、ベトナムなど、

軍事に力を入れることはあっても、非武装など頭の片隅にもなかった。

左翼思想と平和主義は何の関連性もないから当然である。

そもそも日本の左翼が非武装の平和主義に“転向”したのは、

ソ連が日本に入りやすくするためだけのこと。

だから、それを継承する現在の左翼運動は中身がスッカラカンとなるのだ。

平和主義に「転向」と言ったのは、元々日本共産党も武装していて、

暴力革命を目指していたから平和思想などまったく持っていなかった。

だから、GHQの占領中に現行憲法がつくられたとき、

共産党の野坂参三は草案に反対したのである。


その後、左翼が平和主義を掲げ、憲法違反と言って自衛隊廃止を主張したのは、

ソ連に媚びたのと、アメリカ寄りの政府を困らせるためのもので、

思想的な中身は何もなかった。

安保反対運動の目的は、当然、アメリカと離反させて、

ソ連に近づけるためのものだ。


その主張が一定の支持を得ていたときはそれで良かったが、

平成の時代になるとそういった主張が国民にまったく通用しなくなった。

自衛隊は国民に浸透しきっているので、

自衛隊が憲法違反だとあまりに言い過ぎたら、

国民世論は自衛隊を廃止するのではなく、

憲法のほうを変えたらいいのでないか、となってしまう。

だから、左翼勢力は突如として自衛隊合憲に主張を切り替えた。

憲法9条という本丸を守るために、自衛隊解釈を切り捨てたのだ。

そんなご都合主義でしかない連中の平和主義など国民に伝わるわけもなく、

いまだに相手にされていない状況である。

彼らの護憲運動や平和運動に内容の詰まったものはなく、

空虚なのはそういうことだ。


左翼イコール平和主義ではないので、

平和主義に対抗するものは保守にはならない。

保守であろうと左翼であろうと平和を重んじることは大事である。

思想は関係ない。

ところが、左翼イコール平和主義と勘違いして、

平和主義の反対の立場が保守であると考える人が少なからずいる。

例えば一昨年、左翼勢力が安保法制反対を唱えており、

それに対抗することこそが保守だと思っていた人がいたようだが、

自主独立の立場から安保法制に反対する考え方が保守の側にあってもいい。

それは政策的に非現実的な選択肢であり賛同はできないが、

革新右翼にそのような考えの人が一定数いた。

論理としては成り立つ。


「敵の敵は味方」という発想になると、ものごとの本質を見誤ることがある。

憲法9条を守ろうとする左翼に対抗することが保守だとなると、

安全保障に力を入れることこそが保守という発想につながる。

事実、軍事や安全保障にしか関心のない“保守派”は少なくない。

冒頭で述べたように歴史上の左翼国家は例外なく安全保障に力を入れている。

保守とは何の関係もない。


憲法というのは英語でconstitution(体質)というように、

その国柄を体現するものであり、

本来であれば保守は憲法を守る立場である。

左翼は古い体質をぶち壊すことがその思想の根本なので、

憲法を新しく変える立場であるはずだ。

ところが第9条があるばかりに、

日本では保守イコール改憲、左翼イコール護憲となってしまっている。

本来の立場が逆転してしまっているのだ。

このような状況で敵の敵は味方という発想をしていまうと、

「国柄を破壊しようとする」改憲派も味方になってしまう。

例えば、憲法9条改正を主張しつつ、

天皇条項を変えてしまおうとする勢力も味方だと勘違いすることにもなりかねない。


事実、保守系のメディアと言われる読売新聞社が

以前に憲法私案を発表したとき、非武装の規定はなくなったものの、

天皇条項が第1章から第2章に後退した。

憲法が国柄を表すものであれば、

日本国の象徴である天皇は憲法の冒頭にくるべきだ。

9条改正ばかりに気を取られていたら、

そのような視点が抜け落ちてしまう危険性がある。


敵の敵は味方なのではなく、自分と中心軸の同じ人が味方となる。

安全保障や憲法改正、近現代史などは枝葉の話であって、

これからは幹となる中心軸の話が問われてくるのではないか。






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