保守の真価が問われるのは野党の存在



どこの国でも基本的に政治運営というのは

保守主義の路線がとられているのだが、

それは思想闘争で保守主義が勝ったからなのではなく、

勝った人が保守政治を行うからだ。

国家を運営するという責任ある立場になれば、

冒険などできず、保守主義的になるということ。


したがって、保守思想というのは

時の政権寄りの立場にあると思われがちだが、

保守主義の父といわれたイギリスのエドマンド・バークは、

その政治家人生のほとんどを野党として過ごし、

常に厳しい政権批判を行い、

その矛先は国王も含まれるものであった。

だからフランス革命が起こったとき、

フランス人の友人がバークならフランス革命を支持してくれるだろうと思い、

賛同を求める手紙を書いたのだが、

その返事は思いもよらず、革命を猛烈に批判するものだった。

それがバークの代表作であり、

今でも保守思想の教科書ともいわれる『フランス革命の省察』である。


バークの思想は人間の不完全性を前提にしている。

人間は不完全であるが故に必ず間違うし、

不完全である以上、現代人がいくら頭を使って世の中を設計しようとも、

そんなものはうまくいかない。

だからフランス革命は必ず失敗すると。

一個人の理性よりも、

幾世代もの取捨選択に耐え抜いてきた伝統にこそ軸足を置くべきだという。


しかし、何が伝統であるかということは誰が判断するのか。

人間が不完全である以上、

保守政治を行う者もまた不完全であり、誤ることもある。

その視点に立ち野党から厳しく批判したのがバークであった。

英国人の自由を守るということは、古来の法(伝統)を守ることであり、

政治家はもちろん国王であってもその法の下にある、と主張した。

現在、日本では安倍晋三内閣という保守政権が誕生し、

反日政党から政権を奪還したことで

保守派はとりあえず安心していることと思うが、

野党第一党の民進党に保守の要素が微塵もないことは、

保守政治にとってこの上ない不幸な状況であることに変わりはない。

片輪走行の車のようなもので、極めて不安定な状態である。


その国に保守政治が根付いているかどうかのバロメータは、

政権与党を見るのではなく、

まともな保守政党としての野党が存在するかどうかである。

保守派の最大の関心事は、

安倍総理の後継者が育つかどうか、ということもあるだろうが、

それ以上に重要なことは、

健全な保守政党としての野党が育つがどうかとなる。

そう考えると、絶望的な心境になるだろうが、

そこを乗り越えなければ、日本の健全な議会政治、

そして健全な民主主義が根付くことはない。

絶望しつつも一歩でも半歩でも前に進むしかないのだ。






もどる