敵が嫌がる方法の意味



日本国憲法第9条は、「戦争の放棄」と「戦力の不保持」を謳っている。

それでは自衛隊を合憲とする根拠は何か。

これまで二つの解釈があった。

一つ目は、自衛権は国家固有の権利であり、

そのための必要最低限度の「自衛力」は保持できるという解釈。

二つ目が、芦田修正解釈。

第9条は、1項に「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、

国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」とあり、

2項で「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、

これを保持しない」とある。

この「前項の目的を達するため」というのが、

現行憲法案が定まる直前に修正が加えられた

「芦田修正」といわれるもので、これにより9条2項の条文を反対解釈すれば、

前項の目的、すなわち国権の発動たる戦争のための戦力でなければ

軍事力を保持できることになる。

芦田修正解釈を採れば、自衛隊だけではなく「軍」も保有できることになる。

これまで政府は芦田修正解釈ではなく、

国家固有の自衛権として必要最小限度の実力は保有できるという解釈としていた。

そして、安倍内閣ではこれまでの解釈にさらに踏み込むかたちで

憲法13条を持ち出し「すべての国民は、個人として尊重される。

生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、

公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、

最大の尊重を必要とする」という、いわゆる「幸福追求権」を

自衛隊合憲の根拠として掲げた。

私はこれまで政府は芦田修正解釈を採るべきだと考えていたが、

安倍内閣ではこれまでの政府解釈だけにとどまらず、

憲法13条を持ち出すに至った。

なぜこのようなことをやるのかまったく理解ができなかった。

ところが、憲法記念日である今年の5月3日、

安倍総理は「2020年を新しい憲法が施行される年にしたい」と表明し、

改正項目として9条を挙げて

「1項、2項を残しつつ、自衛隊を明文で書き込むという考え方は

国民的な議論に値する」との考えを示した。

ここで思うのは、前述の自衛隊の憲法解釈について、

芦田修正解釈を採らずわざわざ憲法13条を持ち出して

自衛隊の憲法解釈を狭めたのは、憲法改正への布石だったのではないか。

芦田修正解釈を採っていれば、

憲法9条に自衛隊を明記する必要性がなくなってしまう。

一方で、憲法13条ではかろうじて合憲解釈を導くことができるが、

まだまだ違憲性が残るとして議論が続くことになる。

そこで、自衛隊を守るためにこのような議論に終止符を打つ必要がある。

そのためにも憲法9条に自衛隊を明記するのだと。

保守勢力の間では、安倍総理の改憲案では

まったく物足りないと批判する人も少なくないようだが、

私は、安倍総理はもっとしたたかに考えていると思っている。

憲法9条は不磨の大典として絶対に触ってはいけないと主張してきた

護憲派左翼にとって、一度でも改正した事実ができてしまうと、

今後、9条を守る活動は圧倒的にやりにくくなる。

保守派は憲法改正について自分たちの願望ばかりを口にするが、

相手が嫌がることという 発想がまったくない。

安倍総理は長い目で見て、

護憲派左翼を崩していく一手として「9条加憲」を考えているのだろう。

今、理想に突き進んで何も成し遂げないより、

確実に相手の足下を崩していく。

学者ではなく政治家ならではの発想だろう。

安倍総理は政治家として第一次安倍内閣のときより

一回りも二回りも大きくなっている。

私はそもそも憲法改正にはそんなに期待していない。

「憲法9条改正により日本が良くなる」と言うのは、

「憲法9条があれば平和が保たれる」という主張の裏返しである。

やるのは人間。

今の憲法でもできることをやっていない政府が、

憲法改正が実現したからといって突然できるようになるとは到底思えない。

いま、尖閣諸島に自衛隊を配備していない政治が、

憲法改正して自衛隊が軍になったからといって、突然やるだろうか。

そんな改憲論に世論が慎重なのは当然である。世論のほうが真っ当なのだ。

安倍総理は真っ当な世論に必要なことを訴えかける手法に出た。

憲法学者から憲法違反の疑いがあると言われることのある自衛隊を憲法に明記し、

今後一切、自衛隊が憲法違反であると言われないようにする。

それについて国民に対して賛成か、反対かを問うたら、

国民は真っ当な判断をすると信じての挑戦なのだ。

真剣勝負であり、直球勝負であり、したたかであり、

着実な正攻法が憲法9条に自衛隊を明記することであると私は考える。

そして、まもなく勝負のときがやってくるのだ。






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