西部邁さんとの出会い
西部邁さんとは一度だけお会いしたことがある。
あるトークイベントでご一緒したときのことだ。
実は開始前の楽屋での顔合わせのとき、
冗談のつもりで「あまりしゃべりすぎないように」と言ったら、激怒されたのだ。
会の主催者はイベントがぶち壊れになるのではないかと大焦り。
私も自分のせいでそんなことになったらどうしようかと肝を冷やした。
まずは西部さんの講演があって、続いて中野剛さんの講演があり、
最後に私の講演。
そして、そのあとに3人でのトークセッション。
そのトークセッションで西部さんが開口一番「谷田川さん、いいねー」。
(助かった〜)と心の中で安堵した。
その主催者とは故・椿原泰夫さん(稲田朋美前防衛大臣のお父上)。
椿原さん曰く、私の講演がはじまったとき西部さんはそっぽを向いていた。
ところが、話が進むにつれて、徐々に関心を持ち始め、
顔を上げて聞くようになったと。
そして、トークイベントでの開口一番が前述のとおり。
関係者一同安堵した。
私はこのトークイベントがはじまるまで、
実は西部さんをやっつけてやろうと思っていた。
保守の立場を標榜しながらの西部さんの自由主義批判は
矛盾があると思っていた。
私から言わせれば、西部さんは保守ではなく革新右翼だ。
やっつけるというのは、西部さんをいじめてやろうということではなく、
西部さんの知的好奇心をくすぐってやろうということだ。
西部さんはとてつもなく頭がいい人なので、
私が指摘したことを瞬時に理解するだろう。
その上で、西部さんから何が生まれるのか。
そしてそれについて私もまた考える。その応酬が楽しみだった。
しかし、結果は、開始直前に自ら墓穴を掘ったことで、
私は終始、無事終えることだけを考えて、
当たり障りのない発言にとどめてしまった。
西部さんを感心させるまではできたが、
知的好奇心に火を付けることができなかった。
今思えば少し後悔している。
体調のこともあっただろうが、西部さんはこの世に絶望して自ら命を絶った。
そのことはチャンネル桜の「平成二十九年年末特別対談」を見ればよくわかる。
絶望と言うよりも西部さんの頭の中で思想が完成し尽くしたのだろう。
完成した上で、世の中を見切ってしまったのだと思う。
この番組で話された内容について、
私からすれば突っ込みどころが少なからずあった。
もっと早くそこを刺激しておけば、
ひょっとすると西部さんはもう数年は思想にふけったかもしれない。
思い上がりかもしれないが、可能性はゼロではなかった。
私は左翼であろうと、なんであろうと考え方の面白い人が好きだ。
その人独自の視点や発想が面白い。
いくら自分と考え方の近い人でも、
どこかで聞いたことのある目新しくもなんともない話には何の興味も抱かない。
その点、西部さんは面白い人だった。
たった一度でもステージで同席し、お褒めいただいたことは
私の人生にとって誇りである。
心にもないお世辞など口にする人ではないからなおさらだ。
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