「A級戦犯」の正しい使い方



スポーツ紙でよく戦犯という言葉が使われる。

負けた試合の戦犯は○○だと。

つまり負けた原因がその人物にあるということ。

その点でいえば、戦犯という言葉の定義について、

意外とスポーツ紙が最も正しいのではないかと思うことがある。


東京裁判で処刑されたA級戦犯とは、戦争犯罪人ではなく、

戦争に負けた責任者ということなら理解できる。

反日自虐史観では、A級戦犯について、

非人道的な侵略戦争を引き起こした指導者という意味で使われるが、

スポーツ紙の用法で「戦犯」をとらえれば、

大東亜戦争で負けた責任だけを問われるべきということになる。

そもそも歴史的に侵略戦争と自衛戦争の客観的な定義はない。

アメリカはイラク戦争を自衛のための戦争だと公言していた。


戦争に正しい戦争、間違った戦争などというのはそもそもない。

成功した戦争か、失敗した戦争か、ということだけ。

戦争というのは勝っても負けても悲惨なのだ。

大東亜戦争は侵略戦争でもなければ間違った戦争でもない。

正義の戦争でもない。

大失敗の戦争だった。

大失敗の反省は必要。

その意味で、日本人によってA級戦犯の責任を問う意見は必要である。

そして、そこから学ぶべきことは、二度と負けないようにしなくてはいけないこと。

そのためには、ありとあらゆる手段を使ってでも、

まずは戦わなくて済む方法を追求する。

戦わずして目的を達成する方法について。

そして、もし戦うことになったのなら絶対に負けないようにしておくこと。

これが二度と戦争を起こさないための歴史からの教訓なのだ。






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