古谷経衡さんの初小説『愛国奴』を読んでみた



古谷経衡さんの初の小説『愛国奴』を読んだ。

いわゆる保守界隈で起こっていることをフィクションにして描いた作品。


前半部分に出てくる保守系界隈の集まりに参加している人たちを

リアルに表しているところなどはおもしろかったが、

ちょっと極端に表現しすぎているところや、

創作部分(主に後半)になると一転、読んでいて少々退屈になった。

もう少し最後までリアリティを貫いても良かったのではなかろうか。


論評も含めて彼がネトウヨ(ネット右翼)の問題性を指摘する言説をよく見かけるが、

自身もかつてはその界隈に身を置いていたことからの鋭い指摘というのは、

ある意味、統一教会やオウム真理教などの「脱会信者」という立ち位置に近い。

かつての飯星景子のように。


古谷さんの言論界での活躍の切れ味は、現時点ではそこが中心となる。

特にメディアが彼に求めていることは、

安倍政権の支持勢力と考えられている「ネトウヨ」に対し、

脱会信者としての立場で風刺することだ。

(※実際はコアなネトウヨは自分たちの望んでいることを全然やってくれないと

安倍政権には批判的)

私は古谷さんの指摘については、それなりに理解している。

団塊の世代がやった70年安保闘争・学生運動は

中身がすっからかんの「革命ごっこ」だったが、

現在のネトウヨはその裏返しで、中身のない「愛国ごっこ」の要素が大きいと思う。

日本を身の丈以上に褒めたたえ、

近隣の他国を見下して自分を慰めている人も少なくない。

ただ、ネトウヨは自発的に生まれてきたのではなく、

何かの反動(アンチ)として出てきていることも無視できない。

ネトウヨになった人たちは、古くからの筋金入りの民族派右翼ではなく、

だいたい民主党政権や最近の反日マスコミ報道など何某かのきっかけがある。

祖国に誇りを持ちたいという人間の自然な感情に、

ネトウヨ的論調がマッチングしてしまうのだ。

もちろん、もちろん反日メディアと言っても

新聞社やテレビ局がそういう姿勢というのではなく、

個々のプレイヤーにそのような傾向の人が強いということだと思う。


古谷さんは脱会信者であるが、反日メディアに与するものではない。

反日メディアの走狗として脱会信者の役割を担うのは本意ではないはずだ。

ネトウヨでもない、反日でもない、

まともな言論をリードするオピニオンを示すことができるか、

そこがこれからの彼の言論人としての正念場だと思う。

ネトウヨの評論ではなく、

ネトウヨなど関係のない彼独自の重厚な言論を示せるかどうかが問われるだろう。

そこに気づいているのだから可能性はある。

あとはどれだけ自身を鍛錬できるかだと思う。






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