天皇制度が廃止されても革命的転換ではない?
文春オンラインに掲載されている高橋源一郎氏(作家)と
長谷部恭男氏(憲法学者)の対談記事をご紹介します。
文春オンライン 高橋源一郎×長谷部恭男「憲法対談」
この対談のなかで私が最も注目したのは、
今、皇室を廃絶することになったとしても、
それは帝国憲法から現行憲法への変更ほど、
革命的転換ではないという長谷部氏の発言です。
長谷部氏といえば憲法学界を代表する人物のひとりです。
要するに長谷部氏の発言は、大日本帝国憲法から日本国憲法に変わったことで、
すでにわが国の根本原理は変更されており、
仮にいま天皇の制度がなくなったとしても、
それは現行憲法の成立と同時に根本原理が変更したことによる
延長線上のことに過ぎないということです。
これがわが国における憲法学界の通説です。
いわゆる「八月革命説」です。
八月革命説とは、憲法改正には限界があり、
天皇主権である明治憲法を国民主権の現行憲法に改正することはできないが、
ポツダム宣言の受諾(最終的な政治のあり方は国民が決める)により
国の根本原理が変わったことで、この改正が可能になったという学説です。
大日本帝国憲法(欽定憲法)を改正して日本国憲法(民定憲法)とすることは、
憲法学上、どう考えても説明がつかないとされていたところ、
東大法学部の宮沢俊義教授(当時)がこの説を唱えたことで、
とりあえず通説となり、現在までそれが続いています。
「改正限界説と八月革命説」について、
フランス料理店と中華料理店に例えてわかりやすく説明してみます。
フランス料理店が、フランス料理のお店であり続けるためには、
メニュー変更にも制約があり、当然、フランス料理がベースでなくてはいけません。
フランス料理店のメニュー内容をすべて中華料理にすれば、
それはフランス料理店とはいえないので、
そのようなメニュー変更はできないが、
ポツダム宣言にフランス料理店を中華料理店に変更する
という内容が含まれているので、このメニュー変更が可能となった。
ただし、フランス料理店が中華料理店に変わったのは革命的転換であり、
このフランス料理店から中華料理店には連続性がなく、
仮にフランス料理店が創業300年の老舗であったとしても、
中華料理店は創業0年の新しい別のお店になるということです。
これはメニュー変更ではなく、新しい店舗に生まれ変わったと説明します。
そして、長谷部氏が言っていることは、
フランス料理のコックがすべていなくなって中華料理のコックばかりになったが、
どういうわけかフランス料理店のコック長だけが
引き続き中華料理店のコック長になっている。
しかし、店がフランス料理店から中華料理店に変わったときに
革命的転換が行われており、中華料理店となった今となっては、
フランス料理店からのコック長が辞めることは大した問題ではないということ。
では、現実の日本はこの例えのように、
本当にフランス料理店から中華料理店になったのでしょうか。
憲法学界ではフランス料理店のメニューが「天皇主権」、
中華料理店のメニューが「国民主権」となります。
憲法学では「君主主権」と「国民主権」は水と油、並び立つことはありません。
では、「主権」とは何でしょうか。
政治のあり方を最終的に決定できる力です。
例えば、帝国憲法も現行憲法も政治形態は立憲君主制ですが、
その政治形態を最終的に決定できるのが帝国憲法では天皇となります。
帝国憲法の建前は、日本は神話から続く天皇が治める国であり、
天皇の同意(発議)がなければこの仕組み(憲法)を変えることはできません。
一方、日本国憲法の建前は国民が治める国であり、
国民が自由に憲法を改正することができます。
有史以来、天皇が治める国だったこの国が、
ポツダム宣言の受諾によりはじめて国民が治める国へと
根本建前が変わったと憲法学界では説明されています。
さあ、どうしましょう。
頭の体操です。
わが国にずっと昔から現在まで天皇は存在しますが、
憲法が変わったことにより根本原理も革命的転換となったのでしょうか。
すぐに答えを求めるのではなく、自分の頭で考えてみることが大切です。
私は自分の頭で考えて答えを見つけています。
そう遠くない時期に形にできればと思っています。
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