「働き方改革」はデフレ時代の産物



先日、ある企業を訪問したとき、夕方の6時になると音楽が鳴り始め、

社員は会社を出なくてはいけないという。

「働き方改革」の成果である。

でも、私と会っていたその人は「現実的には帰れない」と言っていた。

若い人たちは帰らせても、自分は残ると。


「働き方改革」についてはすでにあちこちで論じられているだろうから、

その中身には触れないが、本質的な問題は、

名目経済成長との関係だと思っている。

大企業は好景気にあり、

この夏のボーナスは確か平均100万円を超えると言われていた。

中小零細企業で働く人たちにとっては、「どこの世界の話だ」となる。


名目GDPが二十年以上成長しないということは、

市場のパイの数はずっと同じままなので、

資本力のあるところがどんどん強くなって、

小さなところは反対にどんどん苦しくなる。

中小零細企業は際限なくコストダウンを迫られ、利益が削られていく。

そうなると安い仕事で数をこなさなくてはならない。

従業員は、仕事量は増えるが、賃金は上がらないどころが減る一方である。

賞与もほとんど出ない。

まさに貧乏ヒマなし状態である。

中小零細企業の人たちは、大変な環境で仕事をしている。

この人たちを救わないといけないのだが、

「働き方改革」は大企業からどんどん適用されている。


「働き方改革」とはある意味において、

経済成長を諦めた考え方と言えるのではないか。

世の中がどんどん経済成長していれば、仕事をした分だけ給料も増える。

そんなときに「働き方改革」などと言われたら、「大きなお世話だ!」となる。

昭和の時代に「働き方改革」などという発想が出てくるわけもない。

働けば働くほど経済は成長し、所得も増えていく。

そこで活気が生まれて、さらに仕事をしようと意欲も出てくる。

しかし、現在は働いても働いても

何とか生きながらえる程度の結果しか期待できず、

達成感も得られず、活力も生まれない。

安い単価の仕事が増えて、際限なく労働させられることを回避するために

「働き方改革」は必要となる。

今の時代にしか意味を持たない。


本当に大事なのは「働き方改革」ではなく、「名目経済成長」である。

資本主義経済のもとで、二十年以上、

名目GDPが成長しないというのは異常なことで、

共産主義革命が起こる土壌が完成しつつあると言って過言ではない。

なぜこんなことになっているのか、様々な要因があってここでは説明を省略するが、

ゼロ金利でも企業が投資をしないという、

少なくとも経済学の教科書では考えられない事態が

起こっていることは確かである。


アベノミクスによる劇的金融緩和で、株価は飛躍的に上昇したが、

まだ目に見える名目経済成長にはいたっていない。

安倍政権には引き続き「名目」経済成長を促す政策に期待したい。

その上で本当に「働き方改革」が必要なのか、問わはなければならない。






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