八月革命説の東大憲法学は内側から崩壊するのか



久々にゴー宣ネット道場を見たら、

高森明勅氏が第6回立憲民主党「安定的な皇位継承を考える会」に

参加したときに講師だったという憲法学者の

長谷部恭男氏を持ち上げていた。

長谷部氏というのはつい最近も、

「いま天皇制度が廃止されても、帝国憲法から現行憲法への変更ほど

革命的転換ではない」と公言した人物。

まさに東大憲法学の八月革命説論者だ。

こんな人を持ち上げて大丈夫か、女系天皇論。


さらに高森氏は翌日のブログで、

宮沢俊義の八月革命説に対して批判的分析を行う。

それ見ると、多少なりとも憲法学をかじってきたものとしては

驚かざるをえない内容が記されていた。

高森氏は現東大法学部教授の石川健治氏の言説を引用しながら説明する。


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「法共同体としての国家の構造連関を、内在的に理解しようとすれば、

至高性=主権性の形容に相応しいのは

『ノモス(根本法、政治の矩〔のり〕―高森)』以外にはありえない。

これにより、戦前に天皇主権説を否定し、

戦後は通俗的な意味での国民主権説を否定する、というのが、

尾高の首尾一貫性であった。

彼は、そうした文脈において、

『天皇の統治を中心とする日本の国体を、

国民主権とは氷炭(ひょうたん)相容れない対ショの原理と見るのは、

むしろ皮相の見解である』

と書いた」「『意味』の根拠として、

『根本規範』を上回る『根本法』の観念を主張する尾高の攻勢に、

所詮は『根本規範』の移動の水準のみで議論する宮沢・8月革命説は、

飲み込まれざるを得ない。

…劣勢に立たされていたのは、実は宮沢の方だった」
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率直な感想は、石川健治という人物はバカなのか?

この部分は、尾高・宮沢論争で、

尾高が宮沢の師でもある美濃部達吉の学説を理解できておらず、

宮沢に軍配が上がってしまったまさにその部分ではないか。

さらに続く。

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「彼の8月革命説は、ケルゼンとシュミットの野合であり、

理論的には不純である」

「ケルゼン説で、ポツダム宣言受諾による8月革命を説明することは可能だが、

尾高説を打倒することはできない。

シュミット説で、尾高説を打倒することは一応可能だが、

今度は、シュミットの意味での憲法制定権力の移動が、

ポツダム宣言受諾のみで成立することを説明できない。

…つまり、尾高は、宮沢との論争で敗れていないのである」

―やや難解な印象を与えてしまっただろうか。

長く憲法学上の通説とされて来た「8月革命説」への手厳しい批判として、

一端のみを紹介した。
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前半はほぼ意味不明。

ケルゼン説だと無限界説の根拠づけとして効力を持つのだが、

尾高は無限界説ではない。

百歩譲ってそうだとしても、

東大憲法学の宮沢俊義→芦部信喜という主流派は、

シュミット説がベースとなって形成されている。

石川教授はその系統を受け継いでいるのではないか。


さらには、シュミット説ではポツダム宣言受諾による

憲法制定権力の移動が説明できないというのはおかしい。

シェイエスまでさかのぼるのであれば、

国民が自ら行使していない憲法制定権力はあり得ないだろうが、

シュミット説ではそこまでは言っていない。


さらには、そもそも宮沢も芦部もシュミット説をそのまま使っているわけではない。

宮沢が八月革命説で主権について「根本建前」と述べたのは、

憲法制定権力も含む憲法の根本理念の話であるのは常識的な話だ。

主権から憲法制定権力という概念は抜くことはできないが、

「主権=憲法制定権力」ではない。

「主権>憲法制定権力」といった感じだろう。


宮沢が述べた「根本建前」とは憲法制定権力を遥かにしのぐ、

国体の基本原理を明確に示したからこそ、

曖昧であったノモス主権論が負けたのである。


シュミット説をベースにすることで、

憲法改正により主権の変更はできないという憲法改正限界説が成り立ち、

主権について、憲法制定権力を凌ぐ

この国を統治する根本建前と宮沢は説明したことで、

尾高は負けたのである。


ちなみに、よく誤解されているが尾高・宮沢論争とは、

八月革命説の是非を論じているわけではない。

八月革命説は認めつつも、

国体は断絶しているのかどうかというところが論点だったのだ。

その点で、私は尾高の考え方にシンパシーを感じており、

タイムマシーンに乗って尾高にアドバイスできるなら、

尾高は負けなかったと思っているが、

歴史の事実としては尾高は負けるべくして負けたのだ。


宮沢俊義の憲法学を受け継ぐ東大法学部の教授が

こんなことも知らないとは正直なところ驚きである。

上記は高森氏の記述の孫引きなので、さっそく原典を取り寄せようと思う。

もし、原典も上記に間違いなければ祝杯を挙げなくてはいけない。

敵である東大憲法学の継承者に、

私が宮沢説を教えてやらねばならないという

滑稽過ぎる事態が起こっているということだ。

何もしなければ東大憲法学は内側から自然に消滅していくことになる。

苦労して倒す必要はなくなった。


高森明勅さん、貴重な情報をありがとう。

その前に、高森さんが持ち上げた石川健治教授の

大先生に当たる長谷部恭男東大名誉教授は、

ゴリゴリの八月革命説論者でございますが。

もう無茶苦茶。

生半可な知識で憲法学を語るのは止めたほうがいいと、ご忠言しておく。






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