旧宮家子孫は旧皇族である

〜『SAPIO』(2/22)「皇統の男系固執は不可能だった!」についての論考

 

----------小林よしのり----------

「旧皇族」とは、昭和22年に皇籍を離脱するまで皇族の身分にあった

「旧宮家」の人のことで、現在、全員65歳以上である!

(中略)

旧皇族の子孫は旧皇族ではない。

生まれた時から一般国民である!

(64頁)

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これは小林よしのり氏が完全に近代合理主義の発想でしか

ものごとを考えていない証拠となる記述です。

 

人間ごときが勝手に皇族を一般人に、一般人を皇族にすることはできません。

GHQの方針により11宮家の方々が皇籍を離脱されることになっても、

潜在的には皇位継承権が存在するのであって、

皇室がいざというときにはその方々が優先的に皇籍復帰の対象となるのです。

 

小林よしのり氏が現代人がつくった法制度だけを見て、

旧皇族か、そうでないか、ということを判断しているだけなのです。

天皇及び皇室は、憲法や法律ができる以前から存在するのであって、

皇位継承の優先順位は、法律以前に実態として存在します。

 

だから歴史的にも皇籍復帰が可能だったわけで、

逆にいくら制度をつくっても、血族的に皇族でない人を、

皇位継承権者にすることはできないのです。

「実態」として皇位継承権が存在しないからです。

 

皇室に男系子孫が数多く増え、傍系の宮家が充実することによって、

旧宮家の方々の潜在的な皇位継承権が薄れることはあるでしょうが、

皇室に傍系となる新たな男系子孫が増えていない以上、

旧皇族の御子孫もその潜在的皇位継承権を包括的に承継されることになるのです。

つまり実態としては被相続人の地位を包括的に受け継ぐのです。

 

仮に東宮家、三笠宮家、高円宮家にも男子が大勢おられる場合は、

どこまでが旧皇族になるのだ、という感覚も出てくるでしょう。

要するに相対的な側面があって、

悠仁親王殿下の世代に次順位の皇位継承権者が存在しない以上、

旧皇族方の潜在的なお立場が上昇するのは必然であり、

その御子孫がそのお立場を包括的に承継されているのです。

 

皇族という立場は一代の人間によってつくることはできません。

歴史・伝統に基づきその正統性は裏付けられるのであって、

GHQがいかに決めようとも、歴史的な正統性に裏付けられた立場が変動することはないのです。

 

人間がつくることのできる法制度だけを見るか、歴史・伝統に基づく実態を見ることができるか、

そこの違いを理解できるかどうかで、この問題に対する態度がよくわかるのではないでしょうか。

戦後すぐに、皇籍を離脱された旧皇族の御子孫は、紛れもなく旧皇族なのです。

 

 

----------小林よしのり----------

(週刊新潮の記事について)

賀陽家の二人の少年については、その父親・賀陽正憲氏がこう答えている。

「賀陽家は皇女をお迎えしておらず、  また、すでに当主無く、私も菊栄親睦会のメンバーではありません。

縁談などとは、立場が違いすぎ、恐れ多いことです。

息子たちはPSPで遊ぶ、普通の男の子です。
皇女様へのお婿入りなど考えること自体、失礼と思います。」

(中略)

賀陽家は皇女を迎えておらず、女系の「格上げ」もしていないので、

立場が違いすぎると賀陽正憲氏は言っているのである。

(67頁)

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賀陽氏は宮家としての賀陽家の復活ではなく、

皇女への婿入りについて、畏れ多く、考えるだけでも失礼だと述べておられる。

この発言はどのように解釈すればいいでしょうか。

旧皇族の賀陽家ですら、皇女に婿入りするのは立場が違いすぎると述べているということは、

完全なる一般人男性の場合は、立場の違いはどうなるのか。

恐れ多いとは考えず、立場の違いを認識しない人間が、

現実的に女性宮家の夫の対象となってくるのでしょうか。

 

賀陽氏の発言をそのまま受け取れば、自分からそんなこと名乗りを上げるのは恐れ多く、

失礼である、という意図でないかと思われます。

こんなことを国の意思も何も決まっていない段階で、

事前に聞くことの無意味さを物語っているのではないでしょうか。

 

 

----------小林よしのり----------

当主の家系で唯一の未婚男子(2歳)の親である東久邇征彦氏は

『週刊新潮』の取材に対してこう答えている。

 

「息子を愛子さまのお婿さんにだなんて・・・

仮にそんなご要請があっても、それは現実的に難しいかなと。

そんなお話になってもお断りさせていただくと思います。

息子には普通に生活してほしいと思っておりますので」

 

記事では「当惑しきりのご様子」と書いているが当たり前だ!

今では国民として穏やかに暮らしている親子を、

誰が引き裂いて強制連行していく権利がある!?

(68頁)

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いずれにしても、週刊誌の取材で、

結婚を受け入れる用意があるなどと答えるわけがないでしょう。

 

ちなみに東久邇家は、明治天皇と昭和天皇の皇女が嫁いでられるので、

愛子さまとご結婚頂く必要性はまったくなく、

そのまま皇室に復帰されても何の問題もない御家系です。

 

そして、国が正式に「国家の一大事」ということで、

お願いに上がったときに、はじめて真剣に検討される話です。

子供には普通に生活してほしいという個人としての素朴な願いがあることと、

国家から公にお願いされたときに、

皇統の家系に生まれた立場としての宿命であることを区別され、

いざというときには覚悟されることは十分にあり得ることだと思います。

個と公の判断はあるのではないか、ということです。

 

親子を引き裂く必要性などまったくなく、

準備期間を設けて、成人されたときに、

将来なくなることが決まっている宮家を継承していただくこともできるし、

選択肢はいくらでもあります。

 

最低限言えることは、週刊誌レベルの質問には何の意味もないということだけでしょう。

 

 

最後に一つだけ述べておきたいことがあります。

旧皇族の賀陽家ですら、女性宮家となる内親王への婿入りには

立場が違いすぎると述べられました。

普通の日本人ならもっと、畏れ多いという言葉では表現しきれないことでしょう。

下手をすれば、女性宮家を創設することによって、

事実上、内親王方に生涯独身を強いることにもなりかねない、

ということを自覚しておくべきではないでしょうか。

本当に皇族方のことをご憂慮しているのは誰なのか、

一度立ち止まって考えてみる必要があるのではないかと思います。





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