『WiLL』(10月号)本家ゴーマニズム宣言
〜子供に天皇とは何かを語れるか?〜についての論評
架空の批判対象をつくって、それに合うレッテルを考え、
そのレッテルを本来の論敵に当てはめるということをやってきたのが、
これまでの反日左翼となります。
例えば、誰も言っていないのに、保守系の人間は戦争を美化し、憲法を改正し、
日本を軍国主義に向かわせようとしている、
という批判は左翼から耳にたこができるほど聞きました。
「戦後史観を見直す=戦争美化・軍国主義」というレッテルを張ろうとしていました。
小林よしのり氏は、とうとう皇統論では議論できなくなったから、
この左翼の常套手段を使うようになってしまったのか。
----------小林よしのり----------
「尊皇ブーム」の自称・保守派は「保守であるからには尊皇であらねばならない」
「日本国民である以上、天皇を尊敬すべきだ」といった「べき論」から発言する。
(中略)
美濃部達吉の「天皇機関説」を否定して、
「天皇主体説」を唱えた一部の軍人や右翼の観念的尊皇主義者に、
今の自称・保守言論人はどんどん近づきつつある。
(中略)
結局のところ、自称・保守派は「我こそ尊皇」と誇るだけで自己満足しているか、
あるいは天皇や国旗・国歌を単に「反左翼」の道具にしているにすぎず、
国民の皇室に対する「自然な敬愛」を育てるということにはさして興味もない。
(187-188頁)
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これは一体誰のことなのでしょうか。
私は保守系の言論誌を読んだり、チャンネル桜を見たりしているが、
誰のことなのかさっぱりわからない。
誰かわからないけど、そんな人たちがいると述べ、
その人たちが男系論を主張していて、
日本をおかしな方向に向かわせようとしていると述べているのです。
これは冒頭に述べた反日左翼とまったく同じ論法です。
私は男系論というより、二千年以上続いた皇統を守りたいという考えを述べていますが、
それがおかしいと思うなら、どうどうと議論を受けて立つことができます。
小林よしのり氏は、一切の議論から逃げ続け、
勝手なイメージをつくってレッテルを張ろうとしています。
従軍慰安婦論争から逃げ続けた左翼たちと、まったく同じ行動をとっているのです。
表面上において、小林氏の主張の趣旨はこういうことでしょう。
「新しい歴史教科書をつくる会」の立ち上げの頃、
天皇なきナショナリズムであったことを反省し、『天皇論』を描いてみたところ、
現在になって周りの保守言論人のほとんどが、
中身もなく尊皇を誇示するようになったと言いたいのでしょう。
この指摘について一挙に解決してみましょう。
だったら、『天皇論』が刊行される何年も前に皇室典範改正論議が行われ、
その時に多くの保守系の知識人の方々が、
懸命になって女系反対の主張を繰り返していたことをどう説明するのでしょうか。
無関心だったら、強硬に反対するなどあり得るわけがありません。
少なくともその時点で小林よしのり氏は、ほとんど関心を示していなかった。
----------小林よしのり----------
今から15年前、わしが「新しい歴史教科書をつくる会」の立ち上げに参加した頃、
保守論壇は天皇については「無関心」と言っていいほどだった。
(182頁)
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自分の頭にこれっぽっちも天皇という概念が存在しなかったから、
他人もそうだったと錯覚しているだけなのです。
自分が五十歳を過ぎて、突如として天皇に関心を持ち始めたとき、
周囲も尊皇であることがわかったということだけでしょう。
続いて相変わらずの浅い歴史認識からの皇統論を取り上げてみましょう。
----------小林よしのり----------
継体天皇は、1代前の武烈天皇の姉と結婚し、「入りムコ」として即位した。
女系も「皇統」として実際上の地位を持っていたのであり、
継体天皇は「5世離れた傍系」ではなく、
女系を仲立ちにして「直系」に位置付けられたのである。
(195頁)
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これまでの皇位継承の歴史で、傍系からの即位の時に、
先代の血筋と近づけるために結婚するというケースはしばしばある。
最も近い例では今上陛下の祖となる江戸時代の光格天皇即位となります。
後桃園天皇が嫡子なく崩御されたとき、閑院宮と伏見宮が皇位継承候補となったが、
その条件の一つが、後桃園天皇の皇女である欣子内親王と結婚することでした。
その時の史料を確認するかぎり、入り婿などという概念で記されている箇所は一つもありません。
直系を重視して「入りムコ」なのであったら、天武天皇も入り婿になってしまいます。
また直系という概念が存在していたのであれば、即位するのは入り婿ではなく、
なるべく先代につながる皇女で考えられたはずです。
手白香皇女が即位し、男大迹王(継体天皇)と結婚して、
その子である欽明天皇に継承する方が、直系継承としてすっきりします。
飯豊皇女の先例もあるから、必ずしも継体天皇が即位する必要性はなかったはずです。
仮に手白香皇女の年齢が若かったから即位に問題があったのだとしても、
次代である安閑天皇や宣化天皇の頃には、
その皇后となった妹たちも、即位するのに年齢は十分でした。
安閑天皇の即位は66歳。
宣化天皇の即は69歳。
ちなみに宣化天皇崩御の後、皇后だった春日山田皇女は、
のちの欽明天皇から登極を勧められたが、辞退したという事実もあります。
----------小林よしのり----------
同様に血筋の上で権威の欠けた27代・安閑天皇、
第28・代宣化天皇も「入りムコ」で即位している。
古代から重視されてきたのは、男系、女系に関わりなく「直系」の血筋なのである。
(195頁)
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安閑天皇と宣化天皇は、継体天皇が即位する以前から結婚していた
尾張目子媛との間に生まれていた。
要するに、継体天皇は武烈天皇の姉である手白香皇女と結婚したから即位できたのであり、
即位以前から生まれていた安閑天皇、宣化天皇も即位できたのは、
同じく武烈天皇の妹である春日山田皇女、橘仲皇女と結婚したからだと言いたいらしい。
ところがこれは完全におかしい。
継体天皇の皇后となった手白香皇女と春日山田皇女、そして橘仲皇女は全員姉妹となります。
男系ではなく直系が重視されていたというのであれば、姉妹だったら直系になりません。
継体天皇と安閑天皇は親子だけれど、安閑天皇と宣化天皇は兄弟です。
まったく説明になっていません。
また、聖武天皇には結果的に男子の後継者がいなかったことを受けて、
その皇女である称徳天皇で天武天皇の系統が終わります。
次に即位したのが天智系の白壁王(光仁天皇)となりますが、
男系、女系に関わりなく直系が重視されたのであれば、
白壁王の妃の井上内親王(聖武天皇の皇女)が登極して、
皇太子である他戸親王に継承すればよかったはずです
(他戸親王は井上内親王の実子ではないが、
母が亡くなっていたのか早くから養っていたので、
実子のように可愛がられていた)。
実際は光仁天皇が即位して、井上内親王や他戸親王は排除されました。
つまり、皇統は直系ではなく、男系をベースに考えられていた証拠となります。
小林よしのり氏には、こういうことについて反論していただきたいのだけれど、
自身の発言に対する批判には一切答えず、
逃げ続けながら、レッテルを張ることだけを繰り返している。
デタラメの言い放しだけで、反論せずにレッテルを張る。
この様子がまさにものごとの客観的な真実を示しているのです。
最後に決定的におかしな記述を指摘しておきましょう。
----------小林よしのり----------
8世紀の女帝・称徳天皇は、僧・道鏡を皇位につけようとしたが、
臣下によって妨げられた。
たとえ天皇自身が望もうとも、国民が望まない者は、
皇位に就けないというのが日本の歴史なのだ。
(195頁)
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『新天皇論』に何て書いていたかもう一度確認してみましょうか。
そんな不敬な発言を次から次へと繰り出すことができるのは、
やはり「天皇のご真意よりも我々の考えの方が上」という意識が根底にあるのだ(135頁)
そもそもわしは、当事者である陛下と皇太子以上に皇室の歴史を知り、
伝統を理解している者などいないはずだと思っている。
それとも男系絶対主義者は、「オレたちの方が天皇より知っている」と言い張るのか?(139頁)
わしの意図は、天皇陛下、皇太子、秋篠宮両殿下に、
自由な(心理的)決定権を与えることである!(142頁)
以上のように、自分が陛下の大御心が女系容認だと(勝手に)思っているときには、
陛下に決めていただくべきと言い、
男系論を批判するときには、陛下のご意向など関係なしに、
国民が納得しなければだめだと述べるというダブルスタンダードだから、
論点が無茶苦茶になるのです。
自称・保守派の連中が「皇統断絶だ!」とすごむから、
陛下が決定できないというような圧力を、わしは粉砕する(新天皇論142頁)
この言葉は、和気清麻呂公にも述べなければフェアとは言えないですね。
ちなみに道鏡事件について事実関係を述べておきますと、
和気清麻呂・広虫公がおられなければ、道鏡が天皇になっていた可能性は高い。
国民が納得しないという類の話ではありません。
さらに述べると、皇統というのは、国民が望まないからだめだとか、
天皇が望まないからどうとか、そういった次元の話ではありません。
和気清麻呂公は国民が望まないから道鏡の即位を阻止したわけではなく、
古代から定まっていた皇位継承の原則を守ったのです。
つまり、個々の天皇や一時代の国民には動かすことのできない、
日本の中心となる大きな基軸が皇統であり、
日本を守るということは、皇統をお守りすることに他ならないのです。
皇室はすごいもので、皇統を論じるほど、必ずいかがわしい主張があぶりだされます。
皇統を論じれば論じるほど、小林よしのり氏は個々の目先のような問題にとらわれて、
日本の大黒柱とも言うべき皇統という概念が存在しないことが如実に明らかとなります。
ちなみに小林よしのり氏が
「古代から重視されてきたのは、男系、女系に関わりなく直系の血筋なのである」(195頁)
と述べていることはすでに指摘しましたが、
同じ号の『WiLL』に掲載されている所功氏による
「皇室典範改正問題の核心・なぜ改正が必要か」という論文では、
「従来の天皇は一貫して父系継承であり、さらに皇族男子を優先することが長年の慣習となってきた。
この史的事実がもつ意味は極めて大きく、これを今後も持続していけるならば、
それに越したことはないであろう」(281頁)と述べています。
所功氏は女系論者ではあるが、歴史については真摯に見つめている。
また所氏は次のように述べる。
「どんなに立場が違っても、議論の内容と直接関係ないことで相手を非難するようなことは、
厳に慎むべきであろう。
まして本質的に理念を共有すると思うならば、
多少見解を異にしても、相手への常識的な配慮を忘れてはならない」
小林よしのり氏は所功氏をちょくちょく持ち上げるが、
どうやらそれは一方通行だったようだ。
なお、所功氏の論考については別の回で論評します。
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