人間に未来の正統性など判断できない

 

今回は『WiLL』12月号から

 

----------小林よしのり----------

わしは『世界』も目を通している。

わしはタコツボ化しない柔軟な頭脳を持っている。

『前夜ZENYA』では左右の垣根を取っ払って良い意見は紹介したい。

左翼、あるいはリベラルな知識人も、

小林よしのりは嫌だとか狭い料簡を捨ててくれないだろうか?

(180頁欄外)

 

わしは保守論壇から完全に浮いた存在だ。

疎ましがられている。

右方面から見ても、小林よしのりは嫌いという者は多いのだ。

わしはTPPに関しても、原発に関しても、

むしろ左翼・リベラル方面との方が意見が合うと思う。

小林よしのりに対する偏見を改めてくれないか?

(183頁欄外)

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左翼に対するラブコール?

小林よしのりさんを見ていて、つくづく思うのが鈴木邦男さんとそっくりだということ。

考え方に“柱”のない右翼は、柔軟化すれば左翼化するだけの典型例。

硬直化すれば凝り固まった民俗派となり、柔軟化すれば左翼化する。

右翼というのはどうしようもない。

 

保守というのは幾世代も経た“時効”というしっかりとした基軸があるから寛容になれる。

古来、日本には、仏教をはじめ、大陸から様々なものが入ってきたが、

日本人はそれらを受け入れ、自分たちのものに変化させてきました。

日本人の寛容性は、伝統に基づくしっかりした基軸があるからです。

基軸さえしっかりしていれば、安心して自由になれるので、寛容さが生まれる。

 

左翼は突き詰めていけば、赤軍派のようになり、先鋭化して仲間の粛正をはじめる。

ソ連のスターリンや、中共の毛沢東などはまさにそれです。

小林さんの保守言論への罵倒も同じ構造なのでしょう。

基軸がなく、理論しかないので、自分の論理を正当化させるために先鋭化してしまうのです。

 

ところで、小林さんのスタッフで情報屋をやっているという

時浦という男が次のようなことを書いていた。

 

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ツイッターを通じ、すごいサイトがあるのを教えてもらいました。

『女系に対する疑惑』

里見岸雄『国体に対する疑惑』の手法を踏襲して、

男系絶対派の『新天皇論』への批判を挙げ、逐一論破しています。

『新天皇論』以降の男系派の掃討戦も、もう終わっている!

 (189頁欄外)

 

『女系に対する疑惑』は、「女系天皇・女系継承」にも

【本質的正統性があるかどうか?】が唯一の論点で、

正統性の有無と前例の有無は違い、

「日本の歴史の中では、時に前例のないことこそが

かえって我が国の国体・伝統をより発揚させる場合もある」と説く。

見事!

これに答えられない男系派は、掲示板を荒らすしか手立てがない。

(190頁欄外)

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そのサイトの存在は知っていたけど、

この内容ではさすがに女系派はこれを引用できないだろうと思っていた。

それが今になって引用し始めた。

時浦、大丈夫か?

きみが正確な情報分析をしていれば、

小林さんはこんなことにはならなかったんだよ。

己の能力の低さを少しは反省してみたらどうかな。

 

「正統性の有無」と「前例の有無」が違うことはその通り。

ただし、前例のないことに正統性があると言い切ってしまったら、

それは理性主義であり、左翼となります。

 

誰にでも理解できるようにわかりやすく説明すると、

新しいことに正統性があるかどうかなど人間に判断できると考えるのは、

理性を絶対視しているということで、それは左翼になるのです。

ものごとの正統性を人間の知性・理性ごとで判断できないから、

幾世代も時間に耐え抜いた伝統を尊重する意義があるのです。

正統性を一世代の人間に判断できるのであれば、

世の中の秩序を伝統などに頼る必要性はないのです。

左翼・革新思想である設計主義の論理が成立してしまいます。

 

そもそも我々はなぜ伝統を大切にしようとするのか、

もう一度考えてみるべきです。

人間の理性ごときで、世の中のすべてを解き明かすことなどできない。

そして理性により社会秩序を構築できると考えるのは、人間の傲慢であると考えます。

人間の理性の限界を知り、幾世代もの時間に耐え抜いた伝統こそが先人たちの叡智であり、

その叡智に対して素直に耳を傾けることが、美徳ある社会を保守することになるのです。

 

確かに歴史上、前例のないことに踏み込むことは多々あったのだけれど、

それはそこに正統性があると断定したからではなく、

時の情勢としてぎりぎりの判断があったのです。

前例のないことを実行して失敗し、すぐにやめてしまうこともあれば、

世代をまたがって正統性が生まれることもある。

これが取捨選択であり、それに耐え抜いたものが伝統となる。

結果的に“国体・伝統をより発揚させた場合”だけを取り上げて、

正統性を判断できるなどと述べるのは、

単なる現代人の思い上がりとしか言いようがありません。

 

少なくとも二千年以上続いた皇位継承法を変更するにあたり、

これまでまったくなかったことに「正統性がある」と頭のなかで断定できるなどと考えるのは、

人間の傲慢であり、完全なる理性主義となります。

 

こんなこともわからなくなっているのが今の「よしりん企画」の知的レベルの現状ということか。

お気の毒としか言いようがない。






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