保守とは何か〜大どんでん返し

 

 

思想が「右」や「左」といっても、

最近の若い人たちにはよくわからなくなっているようです。

若者ではなくても、「右翼」と「保守」の違いを説明できる人は、

あまり多くないのではないかと思います。

言論活動をしている人は「保守」。

軍歌を流して街宣車で活動している人は「右翼」

という説明をされているのかもしれません。

 

「右翼」、「左翼」という言葉は、

フランス革命後の議会における席位置から生まれたという話は、

今やよく知られていることです。

議長席から見て、右側に座っていたのが伝統を尊重する人たちで、

左側に座っていたのが、

既存の枠組みをぶち壊して、新しい秩序をつくれるという人たちです。

 

左側の人たちは、何より人間の理性による可能性を信じ、

理性により社会を構築できると考えました。

それに対して、右側の人たちは、人間の理性には限界があることを認め、

伝統から秩序を形成する必要があるという考え方となります。

 

元外交官の佐藤優氏は著書『日本国家の神髄』のなかで、

「思想史的に整理を行う場合、左翼、右翼以外の第三項を設けるべきではない」

と述べています。

理性を絶対視して枠組みを壊すのか、

理性の限界を知り、枠組みを残すのかという分類ができるかもしれません。

 

しかし、それならば伝統を発見するという

右側における理性の限界をどのように考えるのでしょうか。

例えば、江戸時代に幕藩体制は約300年近くも続きましたが、

幕藩体制という秩序を壊し、

明治維新を断行した薩摩・長州は「左翼」ということになってしまうのでしょうか。

「右翼」であれば、幕藩体制は伝統なのではないかと思い悩まなくてはならないはずです。

 

つまり、万世一系という皇室について考える場合だと、

伝統ということでは一目瞭然となりますが、個々の社会問題については、

何が伝統であるかということを明確に判断できるのかという問題に突き当たります。

伝統であると判断することもまた理性となります。

これが「保守」における理性の限界です。


「右翼」と「保守」の違いについて私の考えを述べるとするなら

「これが伝統であるから守れ」と言い切ってしまうことが右翼であり、

こちらもまた理性を絶対視している部分があるのです。

一方、理性の不完全性を悟り、絶対視するというわけではないが、

あらかじめ伝統に対して謙虚な姿勢を貫くというのが保守であると考えます。

 

皇學館大学の新田均教授による

「その時点での人間の知、学問というのは、それを完璧に解き明かすほど完全ではない」

という言葉に対して、小林よしのり氏は

「おお〜っ!これまた、オカルト信者の理屈そのものだ!

学者じゃないのはどっちだ〜っ!?」(287頁)と述べる。

小林氏は己の理性により、何でも解き明かせるという

左翼の理性万能主義者だと自分で公言しているのです。

 

また新田教授が述べる

「保守主義っていうのは、長く続いてきたものは、

絶対の必要がない限り、そのまま維持しようとする。

そこには理性に対する限界の考え方があるんです」

ということに対して、小林氏は

「わしはこの人たちを説得することは、とうに諦めている。

(中略)男系固執主義はもう完全にカルト宗教である!」(288頁)と述べました。

 

人間の理性には限界があって、理性が世の中の秩序を構築するなど不可能であり、

保守主義者は人間が社会秩序をつくれるという考え方を、

設計主義と呼んで批判してきたのです。

人間が設計するように考え出した社会は、

共産主義国家を見ればわかるように、ろくなものではありません。

それよりも、実際に幾世代も動かしてきた社会の中にこそ、

伝統として先人たちの叡智が詰まっていると考えるのが「保守」の哲学となります。

意味を解き明かせなくても、幾世代も続けられているということは、

大切な何かが含まれているかもしれないと考え、

絶対の必要性がない限り、伝統に対して謙虚な姿勢となって、尊重していこうということです。

小林よしのり氏によれば、この考え方がカルトに見えるということですが、

ここが彼の限界となります。

 

これまで小林氏は『戦争論』など名作を残してきましたが、

それはあくまで理性主義者として、

自虐史観との対決、祖先の名誉の回復、戦後体制の批判を行ってきたということだったのです。

皇室というご存在が目の前に大きく表れたとき、その本質、

「小林よしのり」という人間の限界に突き当たってしまったということでしょう。

 

かつて小林氏は戦後民主主義思想を“左翼”ではなく“サヨク”と呼び、

どこからかスルスルと伸びてきた線が、

戦後思想に洗脳された若者の頭にくっついているという印象的な漫画を描いていたことがありましたが、

実はその線は、描いている小林氏本人の頭にもくっついていたという

シックスセンス顔負けの衝撃的結末をむかえてしまったのでした。





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