議論と口論のちがい

 

小林よしのり氏は毎回のように「男系論者は3つの質問から逃げる」と主張するのですが、

新田均先生がすでに述べておられるとおり、小林氏は自分が気に入らない答えが返ってくると、

答えていないということにしてしまうということです。

 

議論というのはお互いの主張を磨く優れた機能を持っています。

「A」という主張に対して「B」という反論をする。

今度は「B」に対して「C」と反論する。

「C」に対してさらに「D」という見解を述べる、ということを続けることで、議論の中身が深まっていく。

 

小林よしのり氏の場合は「A」と述べたことで、新田先生が「B」と反論する。

ところが本来なら「B」に対して反論すべきところ、小林氏は再び「A」を持ち出すので議論が成立しなくなるのです。

小林氏の主張の特徴は、常に「A」という主張を続けていることです。

たまに自信があるときは「C」を言い始めるのですが、新田先生がすぐに「D」と反論すると、

答えられなくなって小林氏はまた「A」という主張を繰り返すだけとなる。

 

そもそも小林氏の3つの質問に答える必要性すらありません。

「一夫一婦制で男系継承は続くか?」

続く可能性も十分に残されているという回答で十分となる。

我々は皇位継承について男系か女系かのどちらが安泰かという競争をやっているわけではない。

女系容認などいつでもできることだから、まずは可能性が残されている以上、

できるかぎり男系継承を続けるべきだと述べているに過ぎないのです。

 

「皇籍復帰するという旧宮家男子はいるか?」

これも優先順位として女系容認の前に、まずは旧宮家の復活を検討するべきだという主張に過ぎない。

なぜ今この時点で記者会見しなければならないという“決まり”を勝手に押しつけるのか意味がわからない。

八木氏も『正論』(4月号)で書いていたとおり、旧宮家では政府から正式な打診がないかぎり、

回答しないということで意思統一されていることは間違いない。

それが納得できないのであれば、小林氏が自ら調査でもして

皇籍復帰してもいいという人はいなかったことを明らかにすればいいことです。

 

「旧皇族の皇籍取得を国民が納得するか?」

納得するかどうかは国民に聞けばいいことであって、小林氏に決めてもらう筋合いはない。

国民が納得するかどうかは、文字通り、国民的議論をやればいいだけであって、

いま我々がどうこうと答えるべき性質の話ではない。

私は国民は納得すると考えているし、そうでないというのであれば、

「じゃあ議論しましょうよ」ってことで済む話です。

 

こんなことはまともな人間なら答える必要などまったくないのであるが、

それでも議論を深めるためにと、新田先生をはじめ、我々は真摯に反論を展開してきた。

しかし、小林よしのり氏はその答えが気に入らないということで、

ひたすら「A」という主張を繰り返しているのが現状なのです。

おおよそこれは議論と呼べるようなものではありません。

小林氏はもはや議論を放棄したとしか考えられません。

議論を放棄した人がするゴー宣道場の「公論」とは何なのでしょうか。

「口論」の間違いじゃないでしょうか?

 

ところで、さんざんこれまで陛下の御意思を忖度しろと言ってきた小林さんだが、

その根拠を渡邉前侍従長の発言としていたところ、

八木秀次氏から渡邉前侍従長の女性宮家の主張は女系論ではないことを直接聞いたという話が出ると、

突如として「陛下のご真意が憲法上封じられている以上、男系絶対が伝統ではないこと、

直系が正統であり、 皇位継承の安定に繋がることの証明を、

『新天皇論』の最大の仕事とすることにした」と言うのだから、

「漫画家とは気楽な稼業ときたもんだ」ということですか。

その調子で、ゴー宣道場を「口論の場」としてがんばってください。





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