保守主義と自由
櫻井よしこさんなど保守系の中でTPPに賛成する人に対して
売国奴と非難する人がいるそうです。
私が思うに売国奴と言っている人は、保守哲学に関する
根本的な認識不足からきている部分があるのではないでしょうか。
私がよく述べる左翼の設計主義というのは、
自由主義者のハイエクが考えた言葉となりますが、
人間の頭の中だけで、経済をはじめ
世の中の仕組みをつくれないという批判からのものです。
要するに社会主義・計画経済に対する批判です。
ハイエクの主張を要約すれば、
(保守主義が)人間の不完全性を主張する以上、
経済は自由主義経済に委ねなければならないという必然性が生まれるということです。
人間の頭で経済のことを考えては、ろくなことがおこらない。
不完全であるがゆえに、人間は競争しなければ頑張らないし、
競争することによって新しいものを生み出す。
保守主義と自由主義はセットとなります。
自由主義観念のない保守主義は、単なる全体主義か独裁国家です。
だから、櫻井さんなど設計主義思想の問題点を知り尽くした人ほど、
人間の頭で考える経済よりも、ある程度は自由に任せて、
そこから展望を見出すという発想をされるのです。
要するに、中野剛志さんたちは、
TPPをやっても国益にならないという観点から発言され、
櫻井さんは、経済の仕組み、構造という観点から発言されているので、
かみ合わないところが出てくるのだと思います。
ただし、自由主義経済の大本とされるアダム・スミスは、市場経済というのは、
相互の信頼関係や道徳が存在することを前提に成り立つと説いているように、
自由主義経済というのは、それを保障する秩序がまず第一に優先されなければなりません。
自由を保障する秩序が何より大切になります。
日本の秩序は、歴史・伝統に基づく国柄がベースになっている以上、
TPPに参加して、本当に自由競争のベースとしての秩序は保たれるのか、
保守派内の論じるのであれば、
櫻井さんたちとはそこを論点に議論する必要があるのですが、
感情論になって売国奴という批判になってしまう。
秩序を考えない何でも自由競争というのは新自由主義として批判されるべきですが、
あまりに国柄ばかりを言い過ぎると、
それを考えている特定人の“頭”による設計主義に陥ってしまう危険性もある。
日本の国柄は、特定の誰かがつくったものではなく、
歴史の中で自然に築き上げられてきたものです。
特定の人間の理性ではなく、自然に築かれてきたということは、
そこには自由概念がベースになっています。
寛容性と言い換えることもできます。
自由主義を尊重しながら、国柄を守る。
ここの絶妙なバランスが大事なのですが、
人間が不完全である以上、それを完璧に読みとることはできません。
だから、歴史・伝統の中から発見しようとする謙虚な姿勢が大切になるのです。
その姿勢を保つ以上は、大きな失敗をすることはないし、
間違えれば、原点に戻ればいいのです。
戻るべき原点が、日本の基軸であり、その基軸のことを、
チャンネル桜の水島社長に言わせれば“日本を主語に”ということになります。
そして、基軸がぶれなければ寛容になれるのだと思います。
もどる