「保守」と「保守主義」の相違

 

ゴー宣ネット道場のブログで高森明勅氏が

「いわゆる保守主義へのソボクな疑問」というものを書いています。

それを読むと、まあ高森さんの考えだったらそうなるだろう、

という非常にわかりやすい、

近代合理主義にまみれた薄っぺらい視点でした。

 

要するに、保守思想を語るとき、

なぜ欧米の思想家の名前だけが語られ、

北畠親房や本居宣長、吉田松陰、福沢諭吉、

らのことは語られないのか、というものです。

 

これは高森氏が「保守」と「保守主義」という区別が

まったくできていないだけのこと。

 

近代以前の日本には歴史的に保守主義が存在する構造そのものがありませんでした。

なぜなら、江戸時代より以前は、日本人全員が「保守」だったからです。

保守とはひたすら古いものに固執することではありません。

古いものを大切にしつつ、自由に新しいものをどんどん吸収していました。

「古いものを大切にしつつ」のあんばいが、

絶妙のバランスであって、これが普通の日本人に備わっていたのです。

 

ヨーロッパで近代合理主義が発生し、

それが日本に入ってくるのは明治時代以降となります。

具体的には左翼思想が広まりはじめるのは大正時代以降です。

 

ヨーロッパではすでに早い段階から革命が起こり、左翼の革新思想が猛威をふるい、

それに対抗すべく、思想としての「保守主義」が発展したという経緯があります。

日本では革新思想が入ってくるものの、革命は起こりませんから、

保守主義の思想もなかなか根付くことはありませんでした。

そもそも日本人全員が「保守」だったから、

日本には保守主義が育つ土壌がなかったのです。

 

冷戦時代は反共(反共産主義)だけでよかったので本当の保守思想は育たず、

ソヴィエト連邦と共産主義の崩壊、冷戦構造の崩壊により、

左翼思想というものについて考えざるをえなくなった。

 

冷戦時代は「共産主義イコール左翼」という構図という認識でよかった。

共産主義というのは実は左翼の一派に過ぎないものですが、

「二十世紀最大の宗教」と言われたほど、その勢力があまりにも大きかったので、

共産主義イコール左翼となってしまいました。

 

ところがソ連の崩壊と共に共産主義も凋落するのですが、

そのときはじめて共産主義が左翼の一派に過ぎなかったということがわかるのです。

共産主義が崩壊しても革新思想は生き続けている。

そこで、左翼の思想に対抗するのはどうすればいいか、

ということに日本人が気づきはじめ、

バークやハイエク、トクヴィルなどの思想が注目されるようになってきたのです。

 

高森さんは、なぜ北畠親房や本居宣長、吉田松陰などを語らないのかと述べますが、

本居宣長らの国学がいかに有意義であろうと、

彼らの死後に外来ウィルスのごとく入ってきた

革新思想のワクチンや特効薬にはならないのです。

 

女系天皇論も合理主義という外来ウィルス思想の一種であって、

それに感染している高森氏がいかに北畠や本居を語っても無意味となります。

まずは保守主義という特効薬で、ウィルスを除去した人間が、

国学を見直すことで、日本発の保守思想が誕生することになるのです。

つまり日本の保守主義、保守思想は、西洋に遅れること百年以上、

これから発展する要素のある分野となるのです。

 

高森氏は「冷戦時代の我が国では暫く、保守と言えば、直ちに反動とセットにされていた」とし、

「それは、悪の代名詞であり、愚劣の代名詞であり、時代錯誤の代名詞であり・・・

とにかく軽蔑し、唾棄し、排除すべきものというのが、ほとんど通念になっていた」

と書いているが、そう思っていたのは高森氏自身ではないのか。

そんなことを言っていたのは学生運動をしていた人間か、赤軍派ぐらいだ。

 

正体見えたり。




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