今は昔

 

初めて持った携帯電話はツーカーホン関西という会社だった。

ドコモ、セルラー(現在のau)という上位企業が多数を占めるなか、

たまたま知人がツーカーホンのショップ店員をしていたというのが契約した理由。

ツーカーホンは、マイナーな電話会社で機種も少なかったが、番号が気に入っていたのと、

私は何でも一度使い始めると、なかなか変更しないタイプの人間なので、

友人からバカにされようとも、気にせずツーカーホンを使い続けた。

 

そうこうしているうちに、ツーカーホンの経営が立ちゆかなくなり、

auに吸収されることになって、晴れて上位企業の携帯電話になった。

関東ではかなり早くからセルラーツーカーとして一緒になっていた。

auを使うということは、固定電話も同じ会社にした方がお得だということで、

数年前にNTTからKDDIに変更した。

かける相手もKDDIだと通話料が無料になるそうだ。

NTTドコモなど各電話会社も固定電話との関係では

おそらく似たようなことなのだろう。

 

私は学生時代から用事でちょくちょく東京に行くことが多く、

当時、京都と宮崎県で遠距離恋愛をしていた友人から、

上野でイラン人が売っている偽造テレカを買ってきてくれないかと頼まれたことがあった。

かつて上野公園で休憩しているときに、何やら怪しげな外国人が、

何かを売りに来たので無視したことはあったが、それのことかと知った。

 

もちろん、違法行為に加担するつもりはなかったので断った。

その偽造テレカの実物を拝見したが、使用済みテレホンカードの穴の部分に

アルミホイルのようなものが貼ってあるだけの雑なものだった。

イラン人は使用済みテレカを加工して、

10枚から20枚を1000円程度で販売していたようだ。

通常なら1枚500円のテレカが20枚だと1万円もするものを

1000円で買えるとなると、それはお得だっただろう。

 

当時の長距離通話は非常に高額で、

関西と九州だと電話代1万円などすぐにかかってしまう時代だ。

偽造テレカを1万円分でも買って帰れば、10万円分も通話できる。

友人は電話代がシビアだったのだろう、

少し申し訳ない気持ちになったことを覚えている。

 

緑の公衆電話が灰色のタイプに変わったのは、

インターネット環境への対応もあったのだろうが、

大きくは偽造テレカ対策だったと聞いている。

後日談では、その友人は知らずに灰色の公衆電話に偽造テレカを挿入したら、

大音量のブザーが鳴って、走って逃げたそうだ。

 

わずか二十年そこそこで、通話料が無料になる時代が到来した。

そして携帯電話も台頭してきて、相手によってはいつでもどこでも無料でつながる。

私の友人は恋人を大切にする真面目な好青年だったが、

いつでもどこでも無料でつながることによって、

逆に困っている不真面目な男も多いことだろう。

 

便利であって不便。

昔は携帯電話など無くともまったく不自由なく生活できたが、

今はなくてはならないものになっているのだから便利なのか不便なのかよくわからない。

無かった時代の方が、のんびりしていてよかったと思えば、

まさに便利なものが不便であるということになる。

 

結局、何が便利で何が不便なのか、ということなど基準は何もないということだ。

平安時代の人たちからすれば、テクノロジーの進んだこの現代は、

実に不便で暮らしにくいのかもしれない。

 

例えばディスカウントショップで安い商品を手に入れて喜んでいる人がいるとしても、

その人は所得が減少していて、それを買わされているだけと考えることもできる。

格安量販店が普及して、モノの値段が下がったとしても、

それを買う人は、年金生活者でないかぎり、

一方では所得を得るために、どこかで何かを生産・供給しているはずだ。

つまり、買い手であるということは、一方では売り手でもある。

買うものが安くなれば、売るものも安くなっているだけであって、

望んで安価なものを買っている人は、

実はそれを買わされているだけなのかもしれないのだ。

 

そうなると何を基準にものごとを考えればいいのか

わからなくなってしまうと思われるのではないだろうか。

そういうときにこそ、日本には長い長い歴史・伝統があるではないか。

昔の日本人はどうしていただろうか。

従来の日本人はモノを大切にした。

本物の職人がつくったものは少々高くても、それを大切に長く使って、

結果的に安く、且つそのモノにも魂が宿ると考えたのではなかったか。

 

日本は一度も国が変わることなく、

世界に類例のない二千年以上も国が続いたということは、

そこに永続の智恵が存在するはずだ。

短期的、近視眼的にものごとを見るのではなく、

長くうまく続かせる叡智が集積しているのである。

 

困ったときには歴史を見ろ、昔の日本人を見ろ。

そこには必ずヒントが存在しているはずだ。

そして、我々はそれができる国に生まれたのだ。

 

一世代の人間の理性には限界があり、

世界では人間の理性で設計した国はことごとく失敗した。

人間が思い描いたことなど、その通りにならないことの方が世の常となる。

社会は人間が設計するのではなく、

歴史・伝統から発見することにより成り立っていく仕組みとなっているのだ。

もし我々が何かに困ったのなら、先人たちの声に耳を傾けようではないか。

そのような我々の行動もまた、

未来の日本人にとっての叡智として積み重ねられていくのだから。





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