議論は個人の人格まで到達する恐ろしいもの
新田均先生が3月5日のブログで、小林よしのり氏と八木秀次氏が関わった
「パール論争」のときのいきさつを語っています。
小林よしのり氏の状況を物語る上で、
非常に大切な内容だと思いましたので、そのまま引用します。
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3月1日のブログで、小林さんは、八木さんを「嘘つき」「陰謀論者」「カルト信者」と誹謗しています。
少し前になりますが、八木さんが『正論』平成22年11号で
「新田氏の主張はお任せするに値するものだと思っている」と書いたことに対して、
小林さんは『WiLL』平成22年12月号で「ずるいな〜〜っ。
「お任せ」だって!まさにこれが八木秀次!小心で姑息なずる!」(193頁)、
「ヘタレおぼっちゃま八木は、そういう激しい論争する度胸はない。
手を汚し、傷つく論争は運動家の新田に「お任せ」という姑息な手口に出た。
自分で火をつけて、火消しが来たら、自分の犬をけしかけるのが八木秀次なのだ」(194頁)と誹謗しました。
このことに関連して、小林さんが隠している事実を皆さんにお伝えしようと思います。
『正論』平成20年10月号に「法と道徳をめぐる西部・中島両氏の誤謬ーあえて旧師を言挙げする。
これでは、パールは浮かばれないー」と題する八木秀次氏の論文が掲載されています。
この論文は、当時、パール判決書の解釈をめぐって、
中島岳史・西部邁両氏と論争を展開していた小林氏から
「応援してくれないか」と頼まれた八木さんが小林氏を助けるために書いたものです。
八木さんは、小林さんの願いに答えて、旧師である西部邁氏との関係が悪化する危険を冒して、
激しい論争の渦中に身を投じたのです。
そのような事実をひた隠しにし、恩義を忘れて、「小心で姑息なずる!」「激しい論争する度胸はない」などと、
一方的に非難できる小林さんの神経が、私には信じられません。
「男気のかけらもないね」。
今やこれが、かつて小林さんの言論を支えた人々の共通感覚だそうです。
(新田均のコラムブログ3月5日)
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この内容が事実でないなら、小林さんは反論すべきだし、
事実であるなら、ちょっと人としてどうなのかというところです。
以前に新田先生が小林さんに対して、酒井信彦氏の論文のパクリだということをブログで指摘したときには、
小林さんサイドはすぐに反応していました。
客観的に見ても本当にパクリだったので、どうしようもなかったけど、
とりあえず苦しい言い訳のような反論は行っていた。
(※他にもたくさん書物を読んでおり、単行本で参考文献を記すと反論したが、
『新天皇論』の参考文献を見ると、シナ宗族制度に関するものは酒井氏の論文だけだった)
今回はまったく沈黙。
ある意味、パクリ問題より深刻な指摘であると思いますが、
もはや苦しい言い訳すらできない確たる事実ということなのでしょうか。
私は基本的に皇統論に関係のないところで小林さんを批判するつもりはなかったのですが、
「ゴー宣ネット道場」の最新ブログ(3月19日)に以下のような記述があったので、
一人の言論人の姿勢として問題提起をしたい。
----------小林よしのり----------
議論というものが、個人の人格まで到達する恐ろしいものを孕んでいるということに、
まだ師範も門弟も一般参加する道場生も、気付いてないようですね。
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冒頭で引用した新田先生による指摘は、まさに「個人の人格まで到達する恐ろしいもの」の典型的事例です。
なぜ自分の発言は常に自分のことが含まれないのでしょうか。
以前にあえて火中の栗を拾ってくれた恩人に対して、
「小心で姑息なずる!」「激しい論争する度胸はない」などと罵倒するのは
人格の問題以外の何ものでもない。
----------小林よしのり----------
大物がいなくなって小規模化した保守論壇村で、
言霊のない空虚な文章を書いて、いばりくさっている小者たち・・・
(ブログ3月4日)
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そういえば、『戦争論』や『靖国論』を書いていた頃の小林さんは、大物感があった。
懐かしい話です。
小林さんの保守論壇に対する批判は、
いつも彼の自己分析・反省に見えてしまうのは、私だけでしょうか。
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