守るべき国家の基軸




8月15日、灼熱の日差しが降り注ぐなか、靖国神社に参拝したあと、

九段下交差点から少し下がったところで、

左翼による天皇制反対のデモを目の当たりにした。

彼らは機動隊に守られながらデモを行っていた。

これを見たとき、自由や人権というものは、何たるかということを説明する上で、

絶好の材料であると思った。

 

自由や人権というものを、人類普遍の原則のように語るのが人権思想となります。

人間は生まれながらに人権を有しているという考え方です。

この考えがまったく幻想であり、

空想に等しいことを物語る象徴的な出来事が、

九段下で見た天皇制反対のデモであった。

 

人権などというものは、秩序ある社会にのみ保障されるものです。

アフガニスタンの真ん中で人権を叫んでも、

瞬く間に殺害されて、金品を奪われて終わりでしょう。

無秩序なところに人権など存在しない。

人権を保障するためには、世の中に秩序が必要となるのです。

 

それでは秩序は何によって保たれるか。

警察や機動隊、自衛隊でしょうか。

そんなわけはありません。

警察や軍隊があれば秩序が維持できるのであれば、

それらを持つ世界中の国々のほとんどでは、治安が良いはずです。

 

日本人は警察や自衛隊がいるから犯罪を行わないのか。

法律があるから罪を犯さないのか。

日本人のほとんどが、警察に捕まるのがいやだから犯罪を行わない、

法律に反しなければ何をやってもいいと考えているのであれば、

今の日本の秩序はないでしょう。

 

日本人は法律があるから犯罪を行わないのではなく、

我々を律しているのは道義、道徳です。

ほとんどの日本人が道義・道徳に基づき行動し、

ごく一部の人間のために法律や警察が存在している。

日本人の道義・道徳が何に基づいているかといえば、

世界最古の歴史・伝統に基づく国柄です。

世界一長い時間の縦軸が、日本国の背骨となり、秩序をつくっている。

この世界一長い縦軸こそが、天皇を頂点とする国体となります。

 

大震災で被災して、空腹であっても、

スーパーマーケットに列をつくって並ぶ。

これは警察や法律、法秩序の問題ではありません。

世界最古の国柄の中で育った日本人の美徳となります。

 

つまり日本という法治国家、法秩序は、

国体が基軸となって成立しているということです。

法律は国体という土台の上に、のっかっているに過ぎない。

天皇制反対のデモをやっている連中の、自由や人権を保障しているのは、

まさに天皇を中心とする国体なのです。

自分たちの自由を保障してくれている国体を否定する活動を行っているのだから、

まったく間抜けな行動に尽きるということになります。

お釈迦様の手のひらでいきがる孫悟空とまさに同じ。

天皇を頂点とする国体という大きな存在の、手のひらのなかで、

天皇制反対と叫んでいるだけとなります。

己が何者であるのかということすらわかっていない、哀れな存在であるのです。

 

人権思想から死刑廃止運動を展開している人もいる。

人権派弁護士である安田好弘氏による山口県光市の母子殺人事件の弁護は、

生きている人間の人権だけを尊重し、

死者の人権や名誉を踏みにじっているものであると感じた。

安田弁護士の活動を保障しているのは、

死者を敬うことから成り立っている現在の秩序であるということを気付いていない。

世の中が現在生きている人間のためだけに存在するのであれば、

野生動物と同じです。

先人たちを奉り、先人たちから受け継いだ伝統を、

責任を持って子孫たちに引き継ぐという時間の縦軸こそが、

世の中の秩序を形成しているのです。

 

歴史も伝統もない人間たちが、まったく何もないところで、

国家や社会秩序を形成することなどできません。

それぞれの国は、それぞれの国柄を基に諸法律が制定されるのです。

今回の靖国神社参拝は、守るべき国柄、国家の基軸を守ってこそ、

個人の自由や権利は存在することができるのだということを、

改めて確認してみる良い機会となりました。




もどる