憲法無効論は単なる仮説

 

       あるテレビでコメンテーターとして出演していた経済評論家が、

       「日本にはデパートがそこら中にあって、数が多すぎる。

       ロンドンやニューヨークには数えるほどしかない」

       ということを言っていたことがあります。

 

       日本人にはおなじみの、パリのコンコルド広場の近くに並んでいる

       高級ブランド店は、店舗の面積が非常に小さい。

 

       何でこんなことを述べるのかというと、

       日本の国柄や国民性を知る上で、重要な要素が含まれているからです。

 

       西洋の王朝というのは、力によって打ち立てられたものであるから、

       権力の象徴となります。

       王権とは民からの搾取であり、王侯貴族と民は、

       搾取者と被搾取者という利害対立関係となるのです。

       “君民対立”の構図です。

 

       国のなかの対立構造はその後も続き、

       ブルジョアジー(資本家階級)vsプロレタリアート(労働者階級)、

       ホワイトカラーvsブルーカラー、という構図が現在まで存在しています。

 

       つまり、人口の大半を占める労働者階級は、

       デパートに行かないから店の数は少なくていい。

       ブランド品は一部の人しか買わないから、

       高級ブランド店は非常に狭くても十分なのです。

 

       日本は力によって打ち立てられた国ではありません。

       神話から続く、自然発生的に生まれた国です。

       天皇は民を大御宝とされ、その安寧を祈り続けてこられた。

       国の民はその天皇を大切にお守りし続けた。

       世界から見れば、奇跡の国です。

 

       国の前提が世界とまったく異なるから、日本には社会の中に対立構造はなく、

       中産階級が大部分を占める。

       だからデパートも多いし、

       パリの高級ブランド店に日本人がいっぱいやってきて、フランス人がびっくりする。

       そこらあたりに歩いている普通のおばさんは、

       デパートで買い物するし、たまには高級ブランド品も身につける。

       西洋とはまったく異なる文化・文明を持っているのは日本の国柄です。

 

       西洋は力によって打ち立てられた国であるから、

       支配者vs被支配者という君民対立の構造にあった。

       そんな中で暴君が出てきたら国民は一大事。

       とんでもない貧困を強いられるほか、強権政治で死者が続出するかもしれない。

       そこから民主主義という思想が発展します。

 

       そこで考えられたのが君主を制限する制度。

       憲法により王権を制限し、国民の権利を確定する。

       これが立憲君主制です。

 

       ところが自然発生的国家である日本は、“君民一体”の国です。

       君主を制限する必要などありません。

       しかし、それでは西洋から近代国家として認めてもらえないということで、

       不平等条約改正の妨げにもなる。

       そこで伊藤博文らがヨーロッパに学びにいって、

       「大日本帝国憲法」を制定することになります。

 

       ただし、日本は“君民一体”の国ですから、本来なら憲法など必要のない国です。

       日本はあくまで政体として、立憲君主国となったに過ぎない。

       我々の国には憲法なんかより、

       もっと大事なものがどっしりと中心にあるという観念が存在したのです。

       だから、国民は憲法制定といっても、今イチしっくりとせず、

       国柄を守っていくために、教育勅語が出来たといういきさつもあります。

 

       そういった意味でも、大東亜戦争で敗戦して、占領憲法など押しつけられても、

       「憲法なんてまあいいや、とりあえず復興だ」ということになり、

       それがそのまま戦後60年以上続いてきたということになりました。

 

       それでは占領憲法である日本国憲法は無効であるか

       という話題に移っていきたいと思います。

 

       その前にもう一度、世界の“君民対立”の構造を思い出していただきたい。

       近代以降、戦争に敗れた国の王室は、例外なく廃止されています。

       王室は力の象徴ですから、権力基盤が失われると、

       存続意義がなくなって、消滅していくことになります。

       王室に類推するものも同じです。

       フィリピンのマルコスや、ルーマニアのチャウシェスクなども、

       政権基盤が失われると、殺害されるか、国外逃亡するしかありません。

       北朝鮮の体制が崩壊すると、間違いなく金一族は処刑されるでしょう。

 

       マッカーサーがGHQの総司令官に就任し、日本に向けて出立しようとしているとき、

       周囲の人間に「皇室をなくしてくる」と豪語していたそうです。

       マッカーサーはやる気満々だったのではなく、近代国家の常識に照らせば、

       敗戦国の皇室が消滅するのは当たり前の流れであって、自分はほとんど何もしなくても、

       皇室はなくなるだろうと考えていたから、豪語できたのでしょう。

 

       マッカーサーが日本にやってきたとき、昭和天皇は会見したいと申し出られた。

       それを聞いたマッカーサーは非常にきびしい顔をしていたという。

       まさに世界の常識では、君主というのは、いざ革命、敗戦、政変等があったなら、

       生命と財産の保全を求めて、海外への逃亡を計るのが世の常となる。

       日本の天皇も生命と財産を保障できる

       適当な逃亡先を確保するよう懇願に来たのだろうと考えるのも無理はない。

 

       ところが、昭和天皇は開口一番、自分の身はどうなってもいいから、

       国民を救ってほしいと仰せになった。

       マッカーサーはその言葉に感動したなどと伝えられているが、そんなものではない。

       文字通り驚天動地の心境だっただろう。

       この地球上にこんなことがあるのかと考えたに違いない。

 

       天皇は自己の生命や財産の保障ではなく、国民の生命・財産の保障を求めた。

       そして、日本国中が焼け野原になるような敗戦を経験したにもかかわらず、

       国民は依然として天皇を大切に思っている。

       世界の常識ではあり得ないことが、マッカーサーの目の前で現実として起こっている。

       この時点で日本を占領統治する上で、

       天皇の存在が必要不可欠であることを痛烈に認識することになります。

 

       アメリカを発つときに、天皇を廃すると息巻いたマッカーサーは、おそらく皇室なきあと、

       新国家建設を宣言するような憲法を発布することを考えていたにちがいない。

       しかし、皇室を廃することはできないという現実を目の当たりにする。

       そして、たとえ占領軍が短時間でつくった憲法であろうと、

       天皇が存続する以上、大日本帝国憲法の改正手続を採らざるを得なかったのです。

       つまり国体が存続する以上、占領憲法を日本に押しつけるにしても、

       天皇の上諭が必要となったのです。

       大日本帝国憲法の改正手続そのものが、国体の存続を意味するのです。

 

       もしGHQが大日本帝国憲法を停止し、

       新国家建設を宣言する新憲法を日本に押しつけたのであれば、

       こんなものを改正することは何があっても許容できるものではありません。

       しかし、あのGHQでさえ、曲がりなりにも大日本帝国憲法の

       改正手続を採らざるを得なかった以上、

       占領軍によって変な憲法に変えられてしまったのであれば、

       再び日本人の手によって、まともな憲法に改正して戻すということは、

       論理の上でも一つの筋があるのではないでしょうか。

 

 

       では、ここから憲法無効論の具体的な論理を見ていきましょう。

       現憲法無効論者の南出喜久治氏は、占領期間中の憲法改正は、

       大日本帝国憲法第75条に違反するので無効であるという。

 

       【大日本帝国憲法第75条】

       憲法及皇室典範ハ摂政ヲ置クノ間此ヲ変更スルコトヲ得ス

 

       憲法及び皇室典範は、摂政を置いている間は改正することができないという規定です。 

       では、大東亜戦争の敗戦時に摂政は置かれていたかといえば、そんなことはありません。

       英君である昭和天皇がご不例もなく立派に御在位あられたので、

       摂政は置かれていませんでした。

       法の文理解釈(条文のままの解釈)では第75条違反には該当しません。

 

       そこで南出氏は75条を類推適用して無効であると述べる。

       自ら類推適用というのであるから、これは仮説であるはずです。

       要するに、摂政が置かれるどころか天皇大権それ自体が否定されているという

       異常な変局時であるから、75条が類推適用され、

       憲法改正はできないということです。

 

       それでは大日本帝国憲法を制定したときに、

       その解説書として出版された憲法義解(伊藤博文著)には、

       第75条について何と書かれているのか見てみましょう。

 

       第75条

       摂政を置くのは、国家の変局であり、常態では無い。

       故に摂政は統治権を行う上では、天皇と異ならないといえども、

       憲法及び皇室典範は、国家及び皇室における根本条則の至重である。

       天皇の外には誰も改正の大事を行う事は出来ないのである。(現代語訳)

 

       この「国家の変局」ということが占領中に該当するので、

       類推適用できるということでしょう。

       では国家の変局とは何かということになりますが、

       第17条の摂政のところで説明されています。

 

       第17条

       (前略)摂政を置くかどうかを決めるのは、もっぱら皇室に属することであり、

       臣民が口を挟むことではない。

       よくよく天子に違例の事があり、政治を自ら行うことが出来ない事は、

       稀に見る変局であり、そして国家動乱の機会もまた、

       往々にこういった時期に内在している。

       (現代語訳)

 

       「天子に違例の事があり、政治を自ら行うことが出来ない事は、稀に見る変局」

       と記されており、天皇が政治を行えない状態のことを変局と定義されています。

       その後の国家動乱の機会とは、内乱を想定している。

       つまり、国民の抑制が主眼と考えられます。

 

       そして75条に戻りますと、その結論として

       「天皇以外は何人たりとも改正の大事を行うことができない」と締めくくられています。

       つまり、天皇不在の憲法改正を国民がやってはならないということではないでしょうか。

 

       さらにいうと、類推適用ということでは、当時の政府関係者が類推適用を主張せずに、

       憲法改正を実行したことに対して否定することができるのかが疑問として残ります。

       要するに類推適用と言っている限りにおいては、

       客観的に憲法改正を禁じる効果まで直結するのかということです。

 

       わかりやすく説明すると、例えば刑法に類推適用など存在する余地はありません。

       罪刑法定主義が原則であって、類推適用などされてしまったら

       何が犯罪なのか事前に認識できなくなります。

       類推適用とは主に民法などで誰かを保護するためにあるものと言って過言ではないでしょう。

       つまり、保護されるべき当事者である日本人及び日本政府が類推適用を主張しない限りにおいて、

       必ずしも客観的に無効となるのかということです。

       当時の政府が改正できると判断した以上、

       必ずしも無効にはならないのではないかということです。

 

       国民が天皇不在で憲法改正を実行しようとしたのではなく、

       先に述べた昭和天皇とマッカーサーの会見でもわかるように、

       天皇と政府と国民が一体となって、この危機を乗り越えようとして採った選択といえる。

       政府は何より国体の存続を第一に考えました。

       国体の存続を第一としたことから、天皇の上諭の意味が大きいということです。

 

       承詔必謹論に対して、無効な法的行為は、

       例え天皇であっても有効とすることはできないという意見もあります。

       承詔必謹論は天皇主体説だと批判する。

       しかし、その無効な法的行為というのを、

       75条の類推適用における“天皇不在”を根拠としているのが皮肉といえる。

 

       現憲法における天皇の上諭の重要性を説くのが憲法学者の竹田恒泰氏であるが、

       その竹田氏は「承詔必謹という言葉があるが、大義のない勅命には従ってはいけない」

       と述べています。

       それが「天皇をお守りすることになる」と説明する。

       つまり、現憲法有効の根拠に天皇の上諭を挙げる竹田氏は、

       天皇主体説でもなければ、天皇主権論者でもない。

 

       国体の存続を第一に考えるという当時におけるぎりぎりの判断が迫られる状況の中で、

       「天皇の勅命に大義がない」と誰が言えたのでしょうか。

       天皇は自らの生命・財産を犠牲にしてでも国民を守ろうとされ、

       政府、国民は、国体の存続を何より大事と考えた。

       “君民一体”で危機を乗り越えようとしていたのだから、

       必ずしも75条に反するとは言えないはずです。

       憲法よりも遥かに国体を尊重した。

       国体が存続さえすれば、憲法などいかようにもなる。

       それが当時の判断だったのではないでしょうか。

 

       このように諸外国と異なり、日本は天皇を制限する必要がなかった。

       だから変な憲法でも、まあいいやと思った。

       日本人が考える憲法観はそんな程度だったのです。

       それでもその憲法を前提に戦後60年、様々な秩序が存在します。

       ほとんどの日本人は、この憲法を憲法であると認識した上で、

       国家運営がなされてきました。

       たった60年でも、現憲法を前提に世の中が動いている以上、

       急に無効だということになると、社会秩序が混乱するのではないかというのが

       憲法無効論に否定的な“時効説”です。

       一定時間存在している以上、そこには保守思想でいうところの

       “時効概念”が存在するということです。

 

       これに対して無効論は、現憲法が当然になかったことになるわけではなく、

       あくまで“憲法として無効”なのであって、大日本帝国憲法に反しない限り、

       その下位の法律として存在しているということを主張します。

       これが“講和条約説”です。

 

       帝国憲法第76条

       法律規則命令又ハ何等ノ名称ヲ用ヰタルニ拘ラス

       此ノ憲法ニ矛盾セサル現行ノ法令ハ総テ遵由ノ効力ヲ有ス

 

       そのままでは無効な規範であっても、名称がどうであれ、

       憲法(帝国憲法)に矛盾しない法令としての限度では効力を有する、ということです。

       つまり日本国憲法は、帝国憲法に矛盾しない限り、

       下位法令としての効力を認めると考えます。

       これにより憲法の無効を確認するといっても

       現憲法下の法秩序が混乱することはないという主張です。

       あくまで憲法としてだけ無効であって、

       帝国憲法に反しない限りにおいて一般法の上位法としての存在を認めるということです。

 

       しかし、この主張には無理があると考えます。

       憲法無効による法秩序の混乱が懸念される最大の要因は、

       現憲法下で国会議員が選出されている以上、

       国会で成立した諸法律が無効になるのかということです。

       衆議院は帝国憲法に定められていた制度であるから、

       ここは無理すれば、現憲法下での運用を何とか解釈できる余地はある。

       しかし、現憲法が帝国憲法の下位の法律として存在しているという考え方であっても、

       帝国憲法に存在しない参議院という制度は矛盾が生じる。

       現憲法は帝国憲法に反しないかぎりにおいて下位法として有効ということでは説明がつかない。

       帝国憲法体制で欠かすことのできない貴族院の消滅について説明ができません。

       貴族院ではなく、現憲法下で設けられた参議院を通過して成立した法令の有効性を、

       憲法無効論では説明ができないのです。

       大日本帝国憲法に反するものは無効であるなら、

       帝国憲法に反する制度から生まれた諸法令も無効になるはずです。

       この部分について有効な説明を聞いたことがありません。

 

       本筋の話に戻しますと、大日本帝国憲法が停止され、新憲法が発布されたのであれば、

       そんな憲法の改正手続をとることは許されるべきではないが、

       GHQであっても天皇の上諭と御名・御璽を必要とし、

       帝国憲法の改正手続を“強いられた”のであるから、

       改正手続によって、天皇の上諭のもとに正しい憲法に戻すという考え方は、

       必ずしも否定されるものではないと考えます。

 

       しかし、憲法無効論に一つ、非常に説得力のあることがあります。

       現憲法体制のもと、改正手続を行う以上、

       本来のあるべきまともな憲法ができることは考えにくいということです。

       確かに自民党の憲法草案も期待できそうにないのが現実です。

 

       しかし、それは憲法無効論でも同じことです。

       それをやろうとすれば、戦後体制を死守する勢力から、

       想像を絶する抵抗があるだろうし、

       無効論だから技術的にやりやすいと考えているのであれば、

       認識が甘いと言わざるを得ない。

 

       GHQによる占領体制、戦後民主主義体制から脱却し、

       昭和二十年を境に分断された戦前と戦後をつなぎ、

       世界最古の歴史・伝統に基づく日本を取り戻すためには、

       乗り越えなければならない障害は、基本的に同じであると考えます。

       無効論か改正論かというのは手続の問題に過ぎず、

       本質的に向かわなければならない方向は同じであるはずです。

       越えなければならない数々の障害をクリアした最後に、

       現憲法の改正手続をとるのか、

       無効確認をするのかを論ずればいいのだけのことではないでしょうか。

       憲法無効論というのは、私には入り口のところで

       狭い路地に入り込んでいるような気がしてなりません。

       無効論でなければすべてを排除する考え方はそういうことではないでしょうか。

       方法論や手続論が異なっても、日本を取り戻そうする者同士、

       お互いを尊重し合うことがあってもいいと思います。

 

       少なくとも日本人のほとんどは、日本国憲法を憲法として受け入れ運用してきた。

       この現実は認めざるを得ない事実となります。

       そこに“実態”と“現実”が存在するのです。

       不合理であろうと、理不尽であろうと、現実を受け入れる。

       人間が不完全である以上、世の中、完全なことは存在しません。

       不完全を受け入れて、その中から現実を積み重ねるのが伝統です。

       憲法がどのようなかたちであれ、国体は一貫して継続しているのです。

 

       理不尽であろうと、不合理であろうと、屈辱であろうと、

       悲しみを抱き締めて受け入れてきたのも日本の国体です。

       昭和天皇は敗戦と共に、すべてをお引き受けになられた。

       先人たちは、天皇と共にすべてを引き受け、乗り越えようとされたのです。

       現代に生きる我々もまた、占領体制を継続した現実を引き受けなければならないのです。

       その不合理の中から、次の日本を生み出すしかありません。

       日本国は一度も断絶していないのです。

       私はすべてを引き受けた上での、憲法改正論を支持したいと思います。

 

       私が講師としてある勉強会に参加したとき、

       保守系憲法学者の大御所である小森義峯先生が参加してくださり、

       憲法について重要なことを指摘されました。

       この現代人が今から正しき憲法をつくることは、もはや不可能に近いので、

       改正手続は諦め、日本国憲法を破棄して

       “不文憲法”に戻すしかないということを述べられたのです。

 

       江戸時代まで日本には憲法は存在しなかった。

       強いていうなら聖徳太子がつくった憲法十七条しかない。

       文字にしなくても、守られるべき最も大切なことは、人々によって受け継がれてきた。

       日本国の歴史・伝統そのものが憲法であるという考え方が、不文の憲法です。

 

       明治時代の日本は、西洋列強との関係上、明文の憲法が必要となったのですが、

       西洋を追い越した現代の日本には、もはや明文の憲法など必要がなく、

       あえて不文に戻すという意見は、納得できる一つの論理です。

       日本人はそこまで考えなくてはならない局面にさしかかっているのかもしれません。

 

 

 

 

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