猛威をふるう二段階革命論
いきなりですが、戦後政治体制について明確に分析した論考というのは、
どれぐらいあるのでしょうか。
現在私が若者(学生)だったら、戦後保守政治と言論について
非常に不可解に思うだろうことがあります。
1955年に自由党と民主党が合併し、自由民主党が結成され、
その後一貫して自民党が与党、社会党など革新政党が野党という構造が「55年体制」と呼ばれ、
途中一年弱の細川連立政権を除けば、
一昨年となる2009年夏までの50年以上、
この体制が続いたと言っていいでしょう。
政治体制は一貫して反社会主義勢力が実権を握り、経済界もそれを支え続けました。
にもかかわらず、言論界、メディア、教育界が
左翼勢力に占領され続けているのは一体どういうことなのか。
その間、生きてきた我々は、何となく当たり前すぎて、無意識に受け入れているが、
素朴に考えれば疑問を持たれて当然の構造ではないでしょうか。
なぜ政治・経済体制と、言論・教育が正反対となっているのか。
先日、東京の戦略・情報研究会の主催で行われた
田中英道先生(東北大学名誉教授)の講演を聴いたとき、興味深い指摘がありました。
「共産主義は労働運動や革命運動から、
文化運動やジャーナリズムに主戦場を転換させている。
これまで保守は政治・経済体制にばかりに気をとられ、文化を怠ってきた」
マルクス主義というのは、
「資本主義を続ける限り、やがて労働者階級による暴力革命が起こるだろう」
というのが、基本的な考え方であり、
保守系(反共)というのは、それが起こらないように、
経済界と協調して政治体制をしっかり維持してきました。
しかし、マルクス主義者たちの多くは、すぐに暴力革命が不可能であることを悟り、
保守体制がつくりだした秩序に入り込み、
文化やジャーナリズムで主導権を握りはじめました。
そして体制の内側から革命を実行しようとしているのです。
これが田中先生が述べる「二段階革命論」となります。
戦後まもない保守勢力にとっては同情すべきところはあって、
強大なソビエト連邦がすぐ近くにあり、
その脅威の中で何より自由主義経済体制を守ることが第一であり、
文化・教育まで手を広げると、最も守るべき体制まで崩されかねないという、
ぎりぎりの駆け引きもあったのでしょう。
それがそのうちに常態化して、談合のような棲み分けが出来てしまったのが、
55年体制だったとも言えると思います。
その談合により、北朝鮮による日本人拉致問題なども、闇の中に葬られようとしていました。
そのような中で田中先生は、すぐに暴力革命など起こらないのであるから、
我々はこれまで左翼に奪われてきた文化的な部分で、
巻き返しを図らなければならないことを強調されているのです。
「共産主義国家が崩壊した以上、もはや保守・革新の対立構造は古い」
と述べた保守系の知識人もおられますが、実はそういう人たちこそが古くて、
今でもなお左翼のことを単純に暴力革命、階級闘争とだけ捉えているのです。
現実は共産主義国家が崩壊して以降にむしろ、
人権主義、フェミニズム、男女共同参画基本法、夫婦別姓、非嫡出子の平等、
外国人地方参政権、人権擁護法、自治基本条例など、
左翼の構造改革路線といわれる革新思想が次々に猛威をふるっています。
彼らは「人権に反対なのか」、「男女平等に反対するのか」、
「仕事をしている夫婦は苗字が異なってもいいのではないか」、
「永住外国人だったら地方参政権ぐらい与えてあげてもいいのでは」といったように、
普通の人には一見反対しにくいような普遍性とみせかけて、
狡猾に思想を拡大しようとしているのです。
「二段階革命論」とは、これまでの暴力革命のような、外側から体制を破壊しようとするのではなく、
悠久の歴史をもつ伝統・文化に基づき形成している日本の秩序を、
内側から徐々に崩壊させようとする思想であり、活動です。
革命を主導しているのは、労働者階級ではなく、知的エリートとされる人たちとなります。
自民党時代に人権擁護法案が法務省から出てきたという事実は見逃すことはできないし、
小泉政権時の女系天皇を認めようとする皇室典範改正論議も、
高級官僚が中心となって動いていた。
これまでの労働者革命運動ではなく、構造改革路線として進められる狡猾な革命思想に対して、
どのようにして戦略的に対応していくのか、
今それを田中先生は最前線で取り組もうとされているのです。
それに対応したレベルの保守系の研究者の方々がどれぐらいおられるのか、
門外漢の自分には到底わかりませんが、
老若男女一人でも多く精鋭の学者先生方が、
そのことをふまえて、田中先生と共に行動されることを切に願うばかりです。
今の日本に時間的猶予は残されていません。
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