プロパガンダの考察〜その4
先日、とある方からメールをいただきました。
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(旧宮家について批判的著作物が多い小田部雄次氏や浅見雅男氏について)
参照はしているようですが、それなりの専門性を持つ小田部氏や浅見氏を
何故小林よしのり氏は持ち上げたり、紹介しないのでしょうか?
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私の返信は以下の通りです。
小林よしのり氏が彼らの名前を取り上げて、紹介しないのは単純なことで、
自分が丸写ししているのが、バレてしまうからです。
『新天皇論』第19章「旧宮家復活なんてありえるか?」では、
宮中某重大事件を取り上げて、伏見宮系の皇族の行いを批判していますが、
一見、小林氏が丹念に調べて描いているように見せかけることで、納得した人が多いようです。
実際は浅見雅男氏の著書で使われているセリフまで丸写し状態だったのですが、
『ゴー宣』しか読まない読者を洗脳するのには十分だということでしょう。
自分自身が“ごーまん”かまして、正論を述べているように見せかけなければならないのです。
誰かの述べていることを、丸々紹介しているだけでは、
読者を「信仰」させる勢いとして足りないということだと思います。
「やっぱり“小林よしのり”はすごい」と思わせることに意味があるのでしょう。
小林よしのり氏の力点は、もはや自分たちの正論を述べることよりも、
「“小林よしのり”がすごいことを述べている」という見せかけることにあると考えています。
これは完全にプロパガンダ
(特定の思想・世論・意識・行動へ誘導する宣伝行為 by wikipedia)
の体質になっているということです。
「信仰と尊敬の相違」というコラムのなかで、
田中卓氏や高森明勅氏、酒井信彦氏の書いたものを、
小林氏自身で考えたように描いていることを指摘しましたが、
まさにそういうことだと考えています。
田中卓氏等については、持ち上げて紹介していますが、
自分の意見のように見せかけて書いている部分と、
専門家として紹介する部分とを、巧みに使い分けています。
ご質問について端的に答えるとすれば、浅見氏や小田部氏の本に、
こんなことが書いてあると紹介して持ち上げても、
ゴー宣読者は誰も読まないけど、
自分の考えとして漫画で描けば影響力が大きくなるということを考えてのことだと思います。
かつてのファンとしては残念ですが、
彼は今、こんなところにまで成り下がってしまったということです。
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