歴史・伝統から発見するということ

 


100グラムの牛肉ステーキを食べることは、

穀物2・5s、水2トンを消費していることに等しいという数値がある。

牛一頭を育てるには、飼料としての莫大な穀物と、

その穀物を育てる水が必要になるということだ。

 

トウモロコシを燃料にするバイオエタノールという話をはじめて聞いたとき、

「食物を燃料にするとは罰当たりなことだ」という印象を抱いた。

しかし、牛肉を食べるのも、そのために穀物を捨てているという考え方もできる。

日本では江戸時代まで、四つ足の動物は食べない慣習があった。

そのはじまりは天武天皇による「僧侶の肉食禁止令」であり、それが各地に伝わったとされる。

 

日本は独裁国家ではなかった。

天皇でも庶民の食文化を変えることはできない。

その当時から、四つ足の動物を食べることを続けると、

すぐに食料危機になるということがわかっていたのではないか。

 

16世紀後半のイギリスにマルサスという経済学者がおり、

「人口論」という著書がある。

人間は“掛け算的”に増えるが、食料は“足し算的”にしか増えない、

だから人間は放置しておけば飢餓に苦しむ宿命にある、というものだ。

それを言ってしまえば、元も子もないような話である。

そしてマルサスは、人間は人口の規模を自ら抑制しないので、

ふくれ上がった人口は、飢餓、戦争、病気などによって抑制されるという。

確かに西洋では戦争や飢餓により、人口の何割かが減少するということはあった。

日本では、ふくれ上がった人口をそれらで抑制された歴史はないし、

伝統的な日本人の食文化は、共に栄え、共に長く生きる知恵がつまっているといえる。

 

家の近くにステーキやハンバーグを売りにしているファミリーレストランがある。

そこに行くと、まずおもちゃが一杯つまったかごをテーブルの上に置かれ、

子供がどれでも好きなものを一つ貰える。

そのおもちゃは、安っぽく、すぐに捨ててしまうようなもので、

あちらこちらで貰ったそんなおもちゃが家に溜まっていき、

いずれまとめて捨てることになる。

その日、いやその時しか遊ばないようなおもちゃを渡され、

ハンバーグやステーキを食べる。

ふと我に返ると、こんなことをしていて天罰が下らないのか、

自責の念にかられることがある。

石原慎太郎東京都知事は、

「今回の津波で我欲を洗い落とす必要がある」と発言して物議を醸したが、

その賛否はともかく、日本人はまだ我欲を洗い落とすことはできていないことは確かだ。

 

私が大学生の頃、東西冷戦はすでに終了していたが、

憲法改正と主張するだけで、まだ右翼扱いされる時代だった。

高校生の頃、『アジアに生きる大東亜戦争』(展転社)という本を読んで、

こんな本を出版して大丈夫なのかと衝撃を受けた記憶がある。

反日教育全盛のときに、中高生を過ごした自分にとっては新鮮な一冊だった。

この本はまだ所持していたかなと思い立ち、本棚を見てみると、

最近ほとんどさわっていない隅の方から、ひっそりとその姿を現した。

手にとって中を開けてみると、故名越二荒之助先生らの元気なご活躍が目に飛び込んできた。

当時は、政治家が大東亜戦争を肯定するようなことを言ったら大問題の時代だった。

今は憲法改正論など当たり前の時代。

大東亜戦争を肯定する書籍の方がよく売れる。

それでも時代は良くなっているのかと、しみじみ考えることがある。

 

ある日、一人で牛丼屋で食事をしていたとき、

「いま、いただきますと言ったかな」って、突然、ふと思った。

妻や、知っている誰かに作ってもらったときは

ちゃんと「いただきます」と述べているつもりだが、

本来は大地の恵みである食物に対する感謝の言葉であるはずだ。

その心があれば、簡単に食べ物を残したりもできない。

竹田恒泰氏の勉強会「竹田研究会」に参加すると、

そういったことを気付かせてくれる人が多いし、

ベストセラーになっている竹田恒泰氏の著書

『日本はなぜ世界で一番人気があるのか』(PHP新書)には、

日本人にとって大切なことがたくさん記されている。

 

頭で立派な天下国家を語ることができても、

元来の日本人として当たり前の行動ができているのか。

何の思想も哲学もない、そこいらのおじいさんが、

毎朝神棚に手を合わせ、感謝を述べて、元気に一日をスタートさせる姿を見ると、

思想など関係なしに、自分も含めてやはり日本人は退化の道を辿っていると感じることがある。

口で言うのは簡単だが、やはり行動が伴わなければ、意味がない。

行動を伴った思想を取り戻す道のりは長いかもしれない。

 

現実に、政治を見ていても、左右を問わず、

どんどん政治家のレベルが劣化しているように見える。

小選挙区制という悪質な選挙制度があるにせよ、

政治家の重みがどんどんなくなっているように感じる。

 

それではいったいこれからどうすればいいか。

まずやるべきことは、やはり教育である。

教育により国家の繁栄を実現することは不可能であるが、

教育により国民の精神を取り戻すことは可能であると考える。

教育により経済発展をさせるなどできないが、

経済発展した国家は正しき良い教育を実行することができる。

正しい教育により国民の精神を復興させる。

家族の再興、親子の教育、学校教育という三点に集中した政策を実行することが、

何より急務であろうと考える。

 

具体的には、素朴な日本人の感性にまかせることができる環境づくりではないだろうか。

明治以来、西洋のおかしな思想がたくさん入ってきた。

古くは人権思想にはじまり、革新思想、社会主義思想であり、

最近ではフェミニズムや男女共同参画、夫婦別姓など、家族を崩壊させる思想だ。

保守勢力にとって大事なことは、おかしな思想をすべて取り払うことであって、

必要以上に「こうしろ、ああしろ」と言わないことである。

おかしなことを全部取り除けば、あとは素朴な日本人の自由で寛容な精神が、

これまでの日本を受け継ぐ、新しい日本を築いていくだろう。

二千年の歴史を見ても、日本の国柄、国体は、

特定の誰かが何かをやって、つくられたものではない。

それぞれの日本人による日本人としての精神の集合体が、

美しい伝統・文化を築いてきた。

 

いま日本を覆い尽くしているガラクタの山を取り除けば、

その中から美しい日本が見つかるだろう。

それが歴史・伝統を“発見する”ということである。





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