碩学から教えをいただく
今日、東京で渡部昇一先生とお話しする機会がありました。
自分の著書をお渡しして、それに関することを少しお尋ねしてみました。
最近、気になっていたのが、古代史について、日本を中心とする歴史ではなく、
中国大陸の歴史から日本の歴史を考えようとする動きです。
その点について、渡部先生も同じ意見で、外交があった豊臣秀吉の時代でも、
シナの歴史書で日本について書かれたものは、
いい加減なバカバカしい話ばかりであるのに、
古代になると、ほとんど信用できないものだと述べておられました。
『魏志倭人伝』が少しでもまともに記されていたのであれば、
現在において畿内説か九州説かという、どうでもいい邪馬台国論争などなかったのです。
倭の五王の時代、シナの歴史書(周辺諸国を記したもので、正史ではない)には、
日本が朝貢にやってきたと記されていますが、
『日本書紀』にはまったく記述がないどころか、
逆にシナの王朝が貢ぎ物を持ってきたと書かれています。
もし、『日本書紀』を記した時点で、天皇の権威付けのために
朝貢があった事実を表したくなかったという意図があったのであれば、
聖徳太子の時代について、遣隋使により日本のことを「日いづる処の天子」と示して
対等外交を求めた事実を強調するはずですが、そのこともまったく記されていません。
要するに、あまり意識されていなかったと考えるのが自然だったと見るべきではないでしょうか。
つまり、そこに客観性があるということです。
これは皇室の男系継承も同じで、もし『日本書紀』が記された時点で、
父子一系の系統を誇りたかったのであれば、その正統性を誇張して書かれたことでしょう。
小林よしのり氏は、斉明天皇(母)から天智天皇(子)への継承は、女系継承であると述べ、
「現在は、天智天皇の父親が舒明天皇だから男系継承だと解釈しているが、
当時の感覚として、天智天皇がすでに27年前に崩御した4代前の天皇の男系の血筋に基づいて
即位したとみなした者などいるわけがない」
と語る。
しかし、『日本書紀』には、
「天智天皇は舒明天皇の皇太子である」という事実のみが、淡々と書かれています。
中大兄皇子は斉明天皇の皇太子でもありましたが、
『日本書紀』には、あくまで舒明天皇の皇太子としか記されていません。
その点について、小林氏は「日本書紀は漢文で書かれているから、
シナの影響を受けている」というトンデモ発言をしたことがあります。
わが国の正史を「シナの影響」と片付けてしまうとは、
日本人としてどんな神経をしているのか疑いたくなりましたが、
いずれにしてもシナの影響で男系を示すのであれば、
男系の正統性を誇張するはずです。
『日本書紀』は誇張や強調などせずに、
事実のみをあっさり記しているだけとなります。
つまり、あえて強調したり、誇張したりしていないところに、
客観的事実を見ることができると、渡部先生は述べておられました。
渡部先生がかつてドイツにおられたとき、
「親日的な家で日本料理をご馳走になったとき、日本料理の本を読んだそのドイツ人は、
箸を一本ずつ両手に持って食べようとしていた」というエピソードを語っていただきました。
箸の持ち方はあまりに当たり前すぎて、その料理本には書いていなかったそうです。
つまり、わかりきったことはいちいち書かないということは、よくあります。
書いていないから存在しないということではなく、
当たり前すぎて書かないということから、
客観性を読み解くことができるということをお話ししていただきました。
田中卓氏が『神皇正統記』には「男系」という用語が存在しないということを述べたことについて、
小林よしのり氏は「決定的事実」と絶賛していましたが、
田中氏は史料に書かれていないことから、客観性を読み解くという、
基本的なことすら理解することができない脳みそしか持ち得ていないということを
公表しているだけのことです。
小林よしのり氏は田中卓氏を歴史学の権威だと述べていますが、
『神皇正統記』を読めない権威など存在するのでしょうか。
また、ハイエクの通訳もされたことがある渡部先生に、
自由について少し語っていただき、光栄でした。
保守主義とは自由と秩序を保守するという基本的なことが、
昨今忘れがちではないかと考えることもあり、
その点を先生に確認してみたかったのです。
人間の頭で考えた国のあり方など、社会主義と同じで“ろくでもない”ものであり、
自由と秩序が美徳ある伝統・文化をつくりあげるという
保守主義の原点を、改めて認識することができました。
わが国体は、特定の誰かがつくったものではなく、
長い歴史と共に、寛容性の中から自然と築かれてきたのです。
決して、一時代の人間によって変更できるような、
軽い存在ではないということを理解する必要があります。
短い時間ではありましたが、渡部先生とお話しさせていただいたことは、
生涯の財産になるだろうと思いました。
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