信念ある政治家をつくる選挙制度へ
産経新聞によると、民主党の渡部恒三最高顧問や自民党の加藤紘一元幹事長らは、
現在衆議院で実施されている選挙制度である小選挙区比例代表並立制を見直し、
中選挙区制の復活を目指す超党派の議員連盟
「小選挙区制度を考える会」を発足させるそうです。
これは非常に大事な問題ですので、少し丁寧に解説したいと思います。
そもそもなぜ戦後ずっと続けられていた中選挙区制から
小選挙区制に変更されたのか、ここから考えてみる必要があります。
中選挙区制というのは一つの選挙区の定数が原則として3〜5人となります。
ということは、政権与党であった自民党は、
一つの選挙区から複数名当選させることになりました。
だいたい定数5人の選挙区が多いということから、
自民党には5つの派閥が出来たと言われています。
(田中派、大平派、福田派、三木派、中曽根派、いわゆる三角大福中)
つまり自民党の個人の候補者としては、対立候補は野党だけではなく、
同じ自民党候補者もライバルとなったのです。
有名だったのは上州戦争と言われた群馬県で、
福田赳夫、中曽根康弘、小渕恵三が激しく争いました。
与党対野党の構図だと政策・主張の差で戦うことができますが、
同じ自民党の候補が相手だと、政策論争ができないので、
いわゆる“どぶいた”選挙となります。
いくつもの後援会組織や支持団体を固めたり、
冠婚葬祭などにどれだけ出席するかということが大事になります。
すると選挙にどんどんお金がかかって、金権政治となる。
派閥のボスは、そういった議員を抱えるために、さらに資金力が必要となります。
それがリクルート事件など大型汚職事件に発展するなどにより、
政策主体の選挙を行い、なるべく政治にお金がかからないようにしようと
政治改革の名で行われたのが、
宮沢内閣から細川内閣にかけて進められた選挙制度改革です。
小選挙区制にすれば政策論争主体の二大政党制になり、
定期的に政権交代が起こり、政治が活性化するというものです。
ところが実際に小選挙区制中心の選挙制度に移行したところ、
確かに政治にお金がかからなくなったいう声が増え、政権交代も実現しましたが、
政治家は選挙区でおよそ過半数の支持を集めなくてはならないことから、
近視眼的になり、大局的にものごとを考えられる人材が、どんどん減少してきました。
民主党のなかで保守系といわれる議員であっても、労働組合など支援を受けると、
どうしてもその影響力に拘束されるようになってきます。
また、創価学会を支持母体にした公明党の議席は減少しましたが、
各選挙区で数万単位で組織票を持っている創価学会の影響力が高まるケースも増えてきました。
中選挙区時代は、よほどのことがない限り落選しない議員は、
当選回数を重ねる過程で、首相や閣僚に向けて、しっかり人材の育成ができましたが、
小選挙区制ではいつ落選するかわからないので、
中長期的に政治家を育てることができず、代議士がどんどん小者化していく傾向にあります。
また、中選挙区時代は派閥抗争もまた、
議論の活性化につながり、政党の活力にもなりましたが、
小選挙区制になると党幹事長に権限が集中し、党執行部の独裁政治になる傾向も出てきています。
そして、有権者からすれば、小さな選挙区になって
候補者が二大政党プラス共産党のようなかたちになり、
どの候補者にも投票したくならない選挙区も続出しています。
定数5人の中選挙区だと、8人、9人と立候補すれば、
比較的自分に考え方の近い候補者も見つかる可能性も高い。
日下公人氏は中選挙区をさらに大きくした大選挙区制を提案されているが、
それだとかなり考えの近い候補者に投票することができるでしょう。
中選挙区制や大選挙区制だと、辻元清美や福島瑞穂など、
気にくわない政治家を落選させることが難しくなりますが、
まずは気に入った政治家を当選させることが優先されるべきではないかと考えます。
わかりやすい例えでいうと、西村真悟さんが大好きな人たちは、
西村さんを国会に送り出すことを優先するか、
辻元清美を落選させることを優先させるかということです。
辻元清美を落選させたとしても、
残っている議員に腰の据わった政治家がいなければどうしようもありません。
すぐに揺れ動く中間的な政治家ばかりでは仕方がないのです。
まずは確固とした信念を持った政治家を一人でも増やしていくためには、
自分が納得できる候補者を選べる仕組みにしなくてはなりません。
その意味では小選挙区制を見直すために、
このたび結成されるという超党派の議員連盟には期待したいと思います。
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