信仰と尊敬の相違〜その1
私が最も尊敬し、信頼する知識人には、
渡部昇一先生、中川八洋先生、田中英明先生などがおられますが、
それぞれの先生と私は意見が異なるところもあります。
もちろん、私などより遥かに大先生ですから、私が間違っているのかもしれません。
それでも私なりに、その時その時で自分自身のものの見方というものを持っているつもりです。
ある知人のお話しによると、経営する会社の社員に、小林よしのり氏のファンがいたので、
「女系天皇論は間違っているぞ」と言うと、
その社員は「小林氏はこれまで色々と正しいことをやってきた、間違っていない」と回答したそうです。
一人の人間の言うことを、100%正しいとしてしまったら、それはもはや“信仰”です。
自分の頭を使っていない。
私は渡部昇一先生を大尊敬しておりますが、
渡部先生の言うことは100%正しいという人がいたら、私はその人のことを信用しません。
思想に対する「信仰」に興味がないからです。
私はこれまで幾人かの「ゴー宣ファン」と議論してみましたが、
小林氏のファンは「信仰」が多いのではないかという印象を受けました。
『新天皇論』に書いてある内容を繰り返すだけで、当人の主張は何一つありません。
「あんたは自分の頭を持っていないのか」、「この世に存在している意味がないないぞ」と言いたくなります。
ところが、肝心の教祖様が、実は誰かの女系天皇論を「信仰」しているのではないかという疑念をもっています。
いや、疑念ではなく確信です。
小林よしのり氏は自分の頭で考えているのではなく、
田中卓氏の言説を一切検証もせずに受け売りを行っているだけなのです。
『諸君』(平成18年3月号)掲載された田中卓氏の論文「女系天皇で問題ありません」を
そのまま漫画にして転載しているという実情を具体的に示していきます。
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[田中卓]
旧来の側室制を進んで廃止して、近代的な一夫一婦の美風を実現されたのが、
他ならぬ英主昭和天皇であられた。
しかしこれは、明治の『皇室典範』(第1条)にいう皇統の「男系ノ男子」継承の立場からは、
将来に大きな危険をはらんでいた。
[小林よしのり]
ここでもう一つ、男系絶対主義者が目を背けていることがある。
断固とした決意の下、皇室に一夫一婦制を導入したのは、昭和天皇だという事実である。
(中略)
昭和天皇が側室を廃止した日、いつか男系天皇が続かなくなることは運命づけられたのである!
(214-215頁)
[田中卓]
もし、今後も「男系男子」に固執すれば、やがて皇后となられる皇太子妃は、
どれほど優れたお方でも、その家系永続のためには、お子様が女子では駄目、
必ず男子を生まないと失格となるわけだから、
そのような、人格と生理とを無視した、非情ともいうべきリスクの大きいポストに、
進んで自ら就任される覚悟のお后選びは、恐らく至難となり、
昔のように、親の権威で娘に結婚を強いることも許されない現今、
むしろこの点から、“皇統断絶”の危機が生ずるであろう。
[小林よしのり]
ちょっとくらい想像力を働かせてみよ!
「何が何でも男子を産まなければならない」という、大変な重圧がかかることを承知で、
悠仁さまのお嫁になる女性が現れるだろうか?
ただでさえ、美智子皇后も雅子妃殿下も、バッシングされた事実があるというのに、
娘を絶体絶命、断崖絶壁の皇室に嫁がせようと考える両親がいるだろうか?
悠仁さまが結婚できなかったり、あるいは結婚しても男子が生まれなければ、
そこで正真正銘、皇統は断絶する!
(133頁)
[田中卓]
何故、「女系」が伝統に違背するといわれるのか。
この点が一般に理解されにくい。
一体、皇統に関して男系とか女系とか言い出したのは、西洋の学問を摂取した明治以来のことで、
管見では、それ以前に議論の対象となったことはないように思う。
[小林よしのり]
皇位継承について男系だの女系だのと言い始めたのは明治以降のことで、二千六百年の伝統でも何でもない!
(245頁)
[田中卓]
歴史的には、皇祖神の天照大神が「吾が子孫の王たるべき地」と神勅されている通り、
“天照大神を母系する子孫”であれば、男でも女でも、皇位につかれて何の不都合もないのである。
[小林よしのり]
日本の国は、女神である天照大神の子孫が王であるべき国であると、
わが国最古の勅撰正史である『日本書紀』に明確に書かれている。
男系派にとってこれが非常に都合の悪いことなのだ。
(276頁)
[田中卓]
皇后の場合は周知の通り、正田家御出身の美智子様でも正田皇后とは申し上げない。
女帝に対する皇婿の場合でも、皇族ならば当然、初めから「氏」はないから、
氏名で呼ぶことはないが、民間の出身者でも、皇室に入られると、新しく『皇統譜』に記載されて、
今までの戸籍は消滅して、「皇族」の一員としてお名前だけになられるから、
謀叛者による革命が起これば別だが、婚姻関係から皇室とは別の「氏」の王朝が、
将来も誕生される可能性はない。
[小林よしのり]
将来、女性天皇が結婚することになれば、男(皇婿)は戸籍が消滅し、
「姓」がなくなるのだから、「易姓革命」など起こるわけがないではないか!
誰が誰を放伐すると言うのか?
(125頁)
[田中卓]
継体天皇の前代にあたる第25代武烈天皇は、第24代仁賢天皇の唯一の男子の御子
(同母の子は6人、異母の子は2人おられたが、不思議なことにすべて女子)であり、
しかも武烈天皇御自身には、男子のみならず女子もなかったのだ。
この点に留意すべきである。
もし、女子でもおられれば、当時、養子・婿入りの法も考えられたかも知れないが、
全くのお子様なしであるから、明白に皇胤が絶えることとなる。
この危機に直面して、やむを得ず傍系の継体天皇をお迎えしたのである。
[小林よしのり]
『日本書紀』の継体天皇条に、次のように書かれています。
「武烈天皇は五十七歳で、八年冬十二月八日におかくれになった。
もとより男子も女子もなく、跡継ぎが絶えてしまうところであった」
(講談社学術文庫・宇治谷孟訳)
男子しか跡継ぎになれないのであれば、「もとより男子なく」と書けば済むはずなのに、
「男子も女子もなく」と書いています。
これはせめて女子一人でもいれば、女系でつなぐこともあり得たという記述と推測されます。
(359頁)
[田中卓]
また反対論者は、「有識者会議」のメンバーを、皇室史や皇室法の素人ばかりと、失礼な批判をするが、
私の知る限り、委員の一人、笹山晴生氏は、東大国史学科卒の名誉教授であり、
後に学習院大学教授として、皇太子殿下に御進講された経歴をもち、皇室史に通じた有名な学者である。
(中略)
むしろ、忌憚なく申せば、盛んに女帝・女系反対を唱える論者こそ、
それぞれ専門分野−思想・文学・政治・憲法・経済など−では優れた業績のある人たちでもあろうけどれども、
彼らの中に少なくともこれまでに国史を専攻し、
日本史学界で、皇室関係史や氏族系譜の研究で名の通る人はほ殆どいないのではあるまいか。
[小林よしのり]
最近、当時の運動の様子を収めたDVDを見たが、
名の知れた保守系知識人がオールスターで集結していてぶったまげた。
参加している言論人は口々にこう言っていた。
「専門家でもない有識者会議の報告で決めるのは間違っている!」
そういうこれらの保守言論人とて歴史の専門家はいないじゃないか!
有識者会議が門外漢ばかりだったのは事実だが、古代史の専門家も一人いた。
(115頁)
[田中卓]
(有識者会議の報告に対し)「長子優先」はそのままでよい。
「男子優先」説では、今後の医学の進捗を考慮すると、男子の生まれるまで待つ可能性が生じ、安定性を欠く。
[小林よしのり]
有識者会議の報告書は、「女系容認」と共に「長子優先」と結論付けているが、これも十分納得できる。
実はこの点は、わしと高森明勅氏や所功氏とは意見が違っている。
もし高森氏が主張するように、「女系容認、ただし直系の男子優先」であれば、
天皇の第一子が女子で、第二子以降に男子が生まれたら、「皇太子の交代」という事態が起きてしまう。
第一子が女子だった場合、「暫定皇太子」のような不安定な状態になってしまい、
それが相当長く続くこともあり得る。
[田中卓]
北朝側は、後醍醐天皇の改革政治に対し、これは従来の儀式慣例を破るものとして、しきりに非難した。
これに対して後醍醐天皇は、何とおっしゃったか。
「今の例は昔の新儀なり。朕が新儀は未来の先例たるべし。」と。
女系・女帝反対論者は、この後醍醐天皇のお言葉を心して拝聴するがよい。
[小林よしのり]
後醍醐天皇は、政治改革を自ら乗り出すにあたり、こうおっしゃった。
「今の例は古の新儀なり。朕が新儀は未来の先例たるべし」
(158頁)
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そして女系天皇論の締めくくりとして書き上げたなかに、以下のことが記述されます。
----------小林よしのり----------
驚いたのは、そこに掲載された『ゴー宣』の欄外にまで、あちこち赤線が引いてあったことだ!
やば・・・
あれだけの大権威が、「漫画だから」なんて意識を微塵も持たず、片言隻句まで精読しておられる!
(325-326頁)
田中先生の尊皇心を疑う人などいないだろうし、
田中先生も場によっては正式な呼び方をしているのは間違いない。
『ゴー宣』を読み、その行間からわしの考え方(形式主義が嫌い等)を分析した上で、
相手に合わせて「ユージンさん」「愛子さん」と仰ってるのだろう。
大権威となるとここまで来るのか!
(327頁)
田中卓氏の、今でも論文を発表するというあくなき追究心、そしてわしのようなシロウトにまで、
学問の成果を正確に伝えようとする「知的誠実さ」を見ると、
歳をとって脳まで老化しない秘訣が何かあるのかもしれないとわずかながら希望も見えてくる気がする。
(中略)
過去の栄光だけで生きる知識人が多い中で、間違いなく現役の「権威」はいるのだ!
権威は近寄りがたいが実は相手をよく研究して柔軟に対処する配慮すら見せてくれる。
歳をとっても脳が老化しない原因は、知的誠実さを失わない人格のゆえであるように思われる。
(338頁)
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これが私にいわせれば、単なる「信仰」となります。
頭を使うことを停止している。
さらに詳しくその実情を掘り下げて見ていきます。
----------小林よしのり----------
[小林よしのり]
皇胤って「男帝のタネ」の継承ってか?
精子が血に混じって受け継がれるのか?
こんな下品な説、聞いたことがない!
みなぼん、こんな妙な説が本当にあるのか田中先生に聞いといてくれ!
[みなぼん]
はいっ!
(中略)
最近、秘書みなぼんがあの大権威・田中卓先生と長電話する仲になっている。
田中卓といえば日本古代史の大権威であり、平泉史学の正統な継承者である。
(中略)
まともな歴史家なら恐縮して口もきけないくらいの学者なのだ。
(中略)
孫みたいな世代のみなぼんは大権威とTEL友になっているが・・・
[みなぼん]
渡部昇一氏がそう言っているです。
[田中卓]
そんなことはありません!
「皇胤」は、天子の子孫、つまり「皇裔」の意で、男女の区別自体は問題となりません。
[みなぼん]
・・・だって。
[小林よしのり]
やっぱりそうか。
(339-340頁)
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ここに描かれているやりとりでは、田中卓氏は結論だけを述べているだけで、
何らその根拠たりうる説明が行われていない。
大権威・田中卓氏が言っているから間違いないという「信仰」に基づく印象操作・プロパガンダなのでしょうか。
このような傾向はもっとあります。
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今回、田中先生に教えていただきたかったことの一つに『神皇正統記』の解釈がある。
『神皇正統記』は歴代天皇を「第○代」という「代」数と、
「第○世」という「世」数の二つで数えている。
例えば桓武天皇は「第50代・第28世」である。
「世」と「代」の数が違うのは、「世」は直系の天皇だけを数え、
傍系の天皇はを外しているからだ。
わしは「『神皇正統記』は〈直系〉を重んじた」と書いた。
すると男系固執派は女帝が全て「世」にカウントされていないことを挙げ、
『神皇正統記』は男系絶対の書だと言い出した。
それに対して意見を伺ったところ・・・
[田中卓]
あんたの書いたので、別に言うことないです。
あれでいいんです。
『神皇正統記』の立場は、第14代・仲哀天皇のところに書いてあるように、
親子関係で継いでいくのが正しいが、そうもいかん場合もあるというものです。
[小林よしのり]
要するに、推古・皇極(斉明)・持統・元明は、親子関係で皇位を継いだのではなく、
天皇・皇太子の未亡人として継いだから「傍系」である。
元正・孝謙(称徳)は親子で継いでいるが、親の元明・聖武が「傍系」であり、
傍系の子も傍系だから「世」に数えられないのである。
決して女帝だから外されたわけではない。
『神皇正統記』は聖武天皇のほか、仁徳天皇・天武天皇系の天皇もすべて「世」から外されている。
その一方で、応神天皇から5世子孫・継体天皇への継承を「直系」とみなすため、
天皇になっていない応神天皇の子孫4人が「世」に数えられている。
(中略)
『神皇正統記』を男系絶対の書と偽り、
「大傍系」への継承を正当化するために使うなんてことは完全なペテン!
『神皇正統記』は「直系」を「正統」としている!!
さらに田中先生は、決定的な指摘をされた。
[田中卓]
親房の議論に「男系の」という用語はありません!
[小林よしのり]
男系固執論者は「史料検証」が全然できていない!
専門の学者が一人もいないからだ!
(332-334頁)
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専門の学者かどうかは関係なく、史料検証は誰にでもできる。
どちらが史料検証を怠っているのか明らかとしましょう。
『神皇正統記』が男系を前提として示している箇所を、原文のまま引用します。
---------神皇正統記----------
[著述の本旨]
我朝の初は天神(あまつかみ)の種(しゅ)をうけて世界を建立するすがたは
天竺の説に似たる方もあるにや。
されど、これは天祖より以来継体たがはずして、ただ一種ましますこと天竺にも其類なし。
彼國の初の民主王も衆のためにえらびたてられしより相続せり。
又世くだりてはその種姓もおほくほろぼされて、
勢力あれば、下劣の種も國主となり、あまさへ五天竺を統領するやからも有き。
震旦又ことさらみだりがはしき國なり。
昔、世すなほに道正しかりし時も賢をえらびてさづくるあとありしにより、
一種をさだむることなし。
乱世になるままに力をもちて國をあらそふ。
かかれば、民間より出でて位に居たるもあり、戒狄より起て國を奪へるもあり。
或は累世の臣として其君をしのぎ、つひに譲をえたるもあり。
伏犠氏の後、天子の氏姓をかへたる事。すでに三十六、乱れのはなはだしさ云にたらざる者哉。
唯我國のみ天地ひらけし初より今の世の今日に至まで、日嗣をうけ給ことよこしまならず、
一種姓の中におきてもおのずから傍より伝給しすら猶正にかへる道ありてぞたもちましましける。
是併神明の御誓あらたにして餘國にことなるべきいわれなり。
抑、神道のことはたやすくあらはさずと云ことあれど、根元をしらざれば、猥しき始ともなりぬべし。
其つひえをすくはんために聊勒し侍り。
神代より正理にてうけ伝へつるいはれを述べむことを志て常に聞ゆる事をばのせず。
しかれば神皇の正統記とや名け侍べき。
------------------------------
現代語訳として要約しますと以下の通りです。
〜〜〜〜〜〜〜
我が朝廷のはじまりとして、天上の神の種を受けて、世の中を建立している様子は、
天竺の説に似ているが、天祖より正しく受け継ぎ、一種のままであることは、天竺にも類例はない。
あの国は、はじめは民衆から王が選ばれて継承していくが、
しばらくするとその種姓も滅ぼされて、勢力さえあれば、下位の種であろうと国主となる。
庶民から皇位につくものもあれば、異狄に国を奪われることもあった。
皇帝の氏姓が変わることすでに36回。乱れることの甚だしさはいうまでもない。
ただ、我が国のみは天地が開けたはじめより、今の世の今日にいたるまで、正しく跡継ぎを受けている。
一種姓であるから、傍系が受け継いでも正しき道にもどる方法もあり、
それにより正しく守ってくることができた。
そもそも神道のことは容易に表現できることではないけれど、
根元をしっかり知らなければ、乱れの元となってしまう。
そのようなことがないように、多少なりとも書き記しておかなければならない。
神代より常々正理として受け伝えられてきたことを記す。
これを神皇の正統記と名付ける。
〜〜〜〜〜〜〜
シナでは単に武力による王朝交代が起こっていることだけではなく、
一種姓が守られていないとこを指摘し、
我が国では天地が開けて以来、一種姓を維持しており、
傍系で継承しても、正統に受け継ぐこともできたことを序論部分で述べています。
そのあと方では、神武天皇から現在の天皇(後村上天皇)までにおいて、
直系の男系男子で、即位している天皇に「世」をつけました。
神武天皇を第一世とし、後村上天皇が第五十世となります。
なぜ直系の男系男子といえるのかという根拠は、
北畠親房は「世」について説明しており、「父死て子立つを世と云う」と記しています。
つまり、親房は神武天皇から現在の天皇までの父子一系を「まことの継体」(正統)と述べているのです。
これをみて、「男系の」という単語が見当たらないから、男系を示していないなどと述べる人こそ、
本当に「史料検証」しておられるのか疑問でなりません。
さらに決定的な指摘をするならば、小林よしのり氏は
「応神天皇からの5世子孫・継体天皇への継承を直系とみなすため、
天皇になっていない応神天皇の子孫4人が世に数えられている」と述べているのですが、
正確にいうと『神皇正統記』では応神天皇と継体天皇の間に位置する4人については「世」はついていません。
正確には、直系であっても天皇に即位していない人には、「世」は記されていないのです。
小林よしのり氏は自ら述べる「史料検証」を本当に行っているのでしょうか。
第十五世が応神天皇であり、第二十世が継体天皇となっていることから考えれば、
結果的に中間の4人を数えなければ辻褄が合わないということになり、
「世」というのは男系男子でしかカウントできないということを示しているのです。
つまり、小林氏は「世」が記されていない4人を「世」としてカウントしていることで、
親房の述べる直系の正統性は父子一系であるということを自ら説明していることになるのです。
私は小林よしのり氏は『神皇正統記』を理解していないのではないかと考えていましたが、
『新天皇論』の記述を分析すれば、さすがに新田均教授の批判により、
「世」が男系男子であることを悟り、崇拝する田中卓氏の言説をはぐらかして、
読者に自分が間違っていないというように見せかけるごまかしをやっているということがよくわかりました。
これぞまさしく、「信仰」を守る「プロパガンダ」であるということになります。
信仰・プロパガンダは、当然のことながら学術論にはなりません。
皇統論でプロパガンダをやる人は、尊皇の士ではないのです。
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