信仰と尊敬の相違〜その2
小林よしのり氏にとっては、田中卓氏の次ぎに「信仰」の対象となっているのが高森明勅氏のようです。
今回は、『別冊正論・皇室の弥栄、日本の永遠を祈る〜皇統をめぐる議論の真贋』にも収録されている
平成17年の高森明勅氏の論文「女系を容認しても天皇の歴史的正統性は失われない」から見ていきましょう。
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[高森明勅]
現在の典範では、皇位継承の資格をめぐる制約が、
歴史上かつてない極めて窮屈なものになっている事情を指摘できるだろう。
具体的には、
@皇統
A嫡系(正妻たる皇后の所出もしくはその系統)
B男系
C男子
D皇族
の5つの条件を全てクリアしている方のみ、皇位継承者を認めるのが現制の立場だ。
これほど窮屈な制約は、全く前例がない。
かかる制約を放置すれば、いずれ皇位継承者がおられなくなるのは、
火を見るよりも明らかであろう。
[小林よしのり]
そもそも現在の皇位継承制度は、125代の天皇の歴史の中でも極めて異例の状態にある。
もともと皇位継承に確固たるルールはなく、その時の事情によってかなり融通がきくものだった。
それが明治の皇室典範で初めて成文法化され、次の条件が規定された。
@皇統に属する
A皇族
B男系
C男子
そして現行の典範ではこの条件が加わった
D正妻の子
実は日本の歴史上、皇位継承資格がここまで狭められたことはない!
歴史上、最も狭い継承資格なのだ!
(319-320頁)
[高森明勅]
(養老継嗣令について)この実例を探すと、元明天皇の皇女、氷高内親王を見出すことができる。
氷高内親王は元明天皇と草壁皇子の間に生まれたが、草壁皇子の子であれば「女王」とされるべきところを、
同条の規定によって「女帝の子」ゆえ「内親王」とされたのである。
氷高内親王は皇位を継承して元正天皇となられた。
ここに女帝の子が皇位についた実例を指摘できるのである。
[小林よしのり]
元明天皇は8年の在位の後、娘の氷高内親王に譲位する。
元正天皇である。
(中略)
注目すべきは即位前の「内親王」という称号である。
氷高の父は草壁皇子であり、天皇ではない。
男系で位置づければ「内親王」ではなく、「女王」になるはずだ。
これは、古代の皇位継承の制度を定めた「養老継嗣令」の
「天皇の兄弟、皇子は、みな親王とすること、女帝の子もまた同じ」という規定が生きており、
「女帝の子」として内親王になった実例である。
その上で、母の女帝から譲位されて即位したのだから、
これはまさに「女系継承」以外のなにものでもない!!
(96頁)
[高森明勅]
現典範では「皇統に属する男系」という規定になっている。
これは一方に「皇統に属する」女系を前提にしていなければ、あり得ない表現だ。
もし皇統イコール男系ならこれは「男系に属する男系」、
つまり「白い白紙」といった重複表現になってしまう。
したがって、すでに典範そのものが、皇統には男系・女系両方が含まれ得るが、
条文として「男系」に限定するという考え方に立っていたのである。
[小林よしのり]
実際は、女系も皇統に含まれているのだ。
皇室典範の第1条を見よ。
「皇位は皇統に属する男系の男子が継承する」
明治の皇室典範でも、この規定の趣旨は全く同じである。
この条文は、「皇統」には男系・女系の両方が含まれるという前提の上で、
皇統に属する者のうち、男系男子が皇位を継承するとしか読みようがない。
「皇統」が男系のみならば、「皇統に属する男子」とだけ書けばよいことになる。
(113頁)
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ところで、『新天皇論』の参考文献には、この論文は掲載されていませんでした。
高森氏から直接、お告げ・・・いや教示があったということでしょうか。
この他にも高森氏から教示された参考文献などたくさんありますね。
高森氏は信仰しているので、情報はすべて「ウェルカム」。
検証などせずに、来るもの拒まず、すべて受け入れます。
新田均教授は、よしりん企画がサティアン化しているのではないかという指摘をされていましたが、
範囲はもっと広いかもしれません。
田中卓氏が尊師であれば、高森明勅正大師、小林よしのり正悟師、
読者・道場生はヘッドギアという構図にならないようご注意ください。
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